崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

2009-01-01から1年間の記事一覧

蔵書をいったいどうするか(番外編)遺品をいったいどうするか

クリスマスが過ぎて、今年も残り数日。この季節になるといつも思い出すことがある。 30年ほど昔の12月25日だった。草森紳一さんに寄稿していただいた作品集が出来上がり、同僚と二人でお目にかかって何気なく、「今日はクリスマスですね」と言ったとき、 「…

三年。

年も押しつまり。乱雑な自室で、一応の整理などしていた。あれこれ並べていて、ふと気になるものを、自分のものでないものを発見してしまった。今頃、すべて、北の地にあるはずの草森紳一、氏の御蔵書である。 「新美術新聞 2006年10月21日号」((株)美術…

コーヒーとおでんの間に

永代橋のたもとの喫茶店で、コーヒーを飲みながらの打ち合わせが済んだら、近くのおでん屋さんに連れて行っていただいて軽く飲むのが、草森先生との間ではならわしとなっていた。ビール1本と、お酒を1、2杯、そして、おでんを少々。 そのあと、霊岸橋のた…

悲劇。

少年時代は野球に熱中し、相撲を愛した草森紳一、氏の御蔵書にも、スポーツ関連の本がそれこそ、箱になるほど、あった。しかし、そのスポーツへの位置どりは一筋縄ではいかなかったようである。巨人ファンでいらしたようだが、そのありようは独特である。下…

蔵書をいったいどうするか(13)北への帰還。そして、新たなる出発へ!

とうとう本たちは行ってしまった。 草森さんも一緒だろうか。十勝の自然をとても愛していたから。 草森蔵書3万冊余りを受け入れてくださる大学があったこと。その場所が草森さんの故郷で、受け入れてくださる方々との信頼関係もきっちりできたこと。 ちょっ…

不在。

氏の御蔵書、その中の数千冊にのぼる、マンガのリストをしばらく、眺めていて、ふと、あるマンガ家の作品が見つからない、のに気づいた。 業田良家先生。80年代中期、『AKIRA』(大友克洋先生)連載中の「ヤングマガジン」誌上、『ゴーダ君』を連載、本…

それだけでニュースになるのだ!

帯広大谷短期大学から、新聞の切り抜きをお送りいただきました。1つは、『十勝毎日新聞』11月11日付夕刊。 音更出身の作家 故草森さんの蔵書 帯広大谷短大に寄贈 公民館に3万冊到着と見出しが付いています。もう1つは、翌日の『北海道新聞』の朝刊。こち…

その朝は、雪。

11月9日、月曜日。晩秋の太陽が傾き、明るい中にもどこかけだるさを感じさせる光に包まれた、午後3時ごろ。 もう1年半近くも、東京都内のとある倉庫に閉じこめられていた蔵書たちは、格安の見積もりをしてくださったとある引っ越し屋さんの4tトラックに…

窓。

草森紳一、氏の御蔵書は、とある現在使われていない学校の、教室に置かれることになっている。もちろん、公開される予定の記念室にも膨大な数の御蔵書が、並べられる。いわば、一般の図書館の閉架書庫の役割をこの教室が果たすことになる。 この教室の写真を…

北の大地へ……

1956(昭和31)年、大学受験のために上京した、一人の青年。それから半世紀以上が過ぎて、彼がその半生をかけて集めた3万冊にも及ぶ蔵書は、故郷に帰ることになりました。 長らく、みなさまにご心配いただいておりました草森紳一先生の蔵書ですが、このたび…

年表。

当方が、幼い頃、ふと見つけた、表紙もはずれかけた、古びた世界史年表は、ちょっとした宝物になった。なにより気に入ったのが、日本、東洋、西洋(欧米)、中近東の各時代を横に眺めることだった。 例えば、のっぺりとした空白の中に「弥生時代」とぽつんと…

島々を訪ね歩く

草森紳一という人は、おそらく「愛書家」ではないだろう。 愛書家とは、本をモノとして愛する人たちだ。だから、買った本は(読まなくても!)きれいにとっておこうとするものだし、立派な書棚にきれいに並べて悦に入ったりするものだ。 草森先生にも、かつ…

朝。

故いかりや長介さんを除いて、「〜チョーさん」と呼ばれることを、必要以上、無理矢理にでも追い求めた人間は、決まって、ギャグセンスがないくせに、過剰なまでに、受け、を狙う傾向があったのではないか。かつて、この国の少なからぬカイシャやガッコウで…

京風おでんをいただきながら

お酒を飲むなら、できるだけ少人数がいい。――ぼくはこの点で、かなりかたくなである。いわゆる「飲み会」に誘われたら、なんだかんだと理由をつけてできるだけ避けようとするし、やむをえず出席するときも、5〜6人以上の「大人数」だと、スキを見つけては…

曠野。

入試が終わって、通っていた、小さな進学塾の塾長さんが、みんなに、結構な額の図書券を「お祝い」として、配ってくれた。喜んでうっかり親の前で開けたが運の尽き。ご自分でそれぞれ内容解説を書いてくださった、英・数・国・社・理の、これから、買うべき…

開かれなかったページ

ある人が、ある本を手に取るには、いろいろな理由があるだろう。著者のファンだったり、内容に興味があったり、装丁が気に入ったり。そんなハッキリした理由はなくても、ふとした縁で、本との出会いは訪れるものだ。 佐藤春夫の『熊野路』は、1936(昭和11)…

蔵書をいったいどうするか(12)「船長、陸地が見えます!」

そろそろ、大船に乗った気になっても良いような雰囲気である。 まだまだ、という声も聞こえるけれど、小さな船で荒海に漕ぎ出したときの 心細さを思い出せば、荒れ模様もそろそろ終盤ではないかと思いたくなるほどの 今は凪。遥か彼方に陸地が見え隠れし、望…

砂場。

小さな頃、よく砂場で遊んでいた。今となっては、何が面白かったのか、皆目分からないのだが、とにかく、穴を掘る、捏ねる、また埋める、そんなことを飽きもせず、暗くなるまで繰り返していたはずだ。 とはいえ、古代遺跡の発掘作業には、興味が持てない。古…

ケチョンケチョンに言われても!

売れるべくして売れる本も、もちろんある。しかし、売れるはずなのに売れない本もあれば、売れそうにもないのに売れる本も、たくさんある。まったく、出版は、水ものだ。 『中央公論』1936(昭和11)年7月号の別冊付録、ルネ・ジューグレ『日出づる国』(小…

青年。

昔も今も。親の目を憚る、ごみ、というものはある。とっぷりと日も暮れた、塾帰りのガキどもは、そんな古雑誌を求めて、裏山や公園の茂みに連れ立って、「探検」に出かけたものだ。必ず、いろいろな「収穫」があった。多くはきっちりと、束ねられた、それら…

蔵書をいったいどうするか(11) 草森マジック、またしても起こる!

早いもので草森さんが亡くなって1年半。 本人がいなくて文字校正の時間が大幅に省かれるせいか、次々に本が出版されている。近刊では、5月に『中国文化大革命の大宣伝』(芸術新聞社)、7月『フランク・ロイド・ライトの呪術空間』(フィルムアート社)、…

産業。

花火大会に向う人々で混雑し始めた、電車の中で、「こち亀、予約した?」などと子どもたちが話していた。ストーリーともギャグともつかぬ、独特の世界を、「週刊少年ジャンプ」誌上に構築しつづけて、はや三十数年。秋本治先生の代表作『こちら葛飾区亀有公…

いちいちツッコミを入れないで!

「スター・トレック」といえば、アメリカの人気SFシリーズだ。宇宙船エンタープライズ号が遭遇する、数々の「驚異に満ちた物語」を描いたその最初のテレビシリーズ(1966〜69)は、今では伝説的な作品となっている。ぼくの中高生のころには、日本語吹き替…

単行本。

私事だが、当方には。単行本はおろか、雑誌もなかなか捨てられないという悪癖がある。しっかり再生してもらった方が世のためになる、と分かっていても名残惜しいのだ。 草森紳一、氏の御蔵書、全てを精査したわけではなく、以下は雑駁な印象に過ぎない。ただ…

淡い緑の中に

一昨日、昨日と、東海さん、Living Yellow氏、そして円満字の3人で、思い立って草森先生のご実家の書庫を拝見に出かけてまいりました。 日食が見えるか見えないかを気にしつつ、羽田空港を飛び立ったのは午前11時過ぎ。太陽を背に一路北上して、とかち帯広…

31回目の重版

自宅で仕事をするようになって以来、電気代を少しでも節約したいので、仕事中はできる限り、エアコンのスイッチを入れないようにしている。暑い盛りでも、エアコンの使用は昼下がりの数時間にして、あとは窓を開けて、風を通してなんとかしのぐ。 もちろん、…

蔵書をいったいどうするか(10) まったくもって奇跡の日々

目録作りが終わってから2ヵ月余が過ぎた。 この連載のタイトルは『蔵書をいったいどうするか』だけれど、で、結局、「蔵書はいったいどうなるの?」と心配してくださっている方が多いと思う。 すみません! まだご報告できる段階ではありません! 手をこま…

芸者。

芸一筋といえば、江戸落語の世界では、深川の辰巳芸者、柳橋、芳町、新橋の名前が良く挙がる。本音と建前が不分明な世界ではあるが、所謂、花魁、太夫の方々の活躍する廓と、これらの芸者さんたちの世界、一応は分けて考えておいたほうが、落語を聞くにも都…

クラッシックとの相性

去年の6月末、東京の九段会館で「草森紳一をしのぶ会」が催された。その席上、先生と親しかった方々のスピーチももちろん印象に残ったのだが、ぼくの記憶に最も鮮やかな影を留めたのは、飾られた遺品の1つ、ぼろぼろになるまで使い込まれた漢和辞典だった…

学問。

文化人類学。この言葉が、80年代に、一部で持っていた「呪力」というものを、どう説明したらよいものか。相原コージ先生の出世作『文化人類ぎゃぐ』の位置どりなど、そのころに生まれた、若い人にとっては『コージ苑』以上に意味不明な世界だろう。 宮台真司…

その先は永代橋 白玉楼中の人