崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

開かれなかったページ

 ある人が、ある本を手に取るには、いろいろな理由があるだろう。著者のファンだったり、内容に興味があったり、装丁が気に入ったり。そんなハッキリした理由はなくても、ふとした縁で、本との出会いは訪れるものだ。
 佐藤春夫の『熊野路』は、1936(昭和11)年に、小山書店の「新風土記叢書」の第2編として刊行されている。「新風土記叢書」といえば、太宰の『津軽』もその1編。蔵書の中から『熊野路』が出てきた瞬間、ぼくが手を止めたのは、それを思い出したからだった。



 早速、本を開いてみる。現在の四六判より、左右が少し大きい版面に、10.5ポという大きめの活字を使って、32字×11行と思いっきりゆったり組んである。余白の多い、ぜいたくな組み方だ。
 製本様式はフランス装といって、ソフトカバーながらちょっと高級感の出るおしゃれなもの。しかも、コグチ側はアンカットになっている。
 本はふつう、8ページとか16ページをまとめて1枚の紙に印刷して、それを折ったものを製本する。ただし、折っただけでは、ページの端はどうしてもふぞろいになるし、袋状につながっている部分もあるので、製本してから裁断をかけて切り揃える。アンカットというのは、その裁断を行わないこと。コグチとは、綴じているのと反対側の辺を表す業界用語で、ここをアンカットにすると、ページによっては袋とじのまま残されて、開けない部分が出てくる。読者は、それをペーパーナイフで切りながら、読み進めていくのだ。
 七面倒くさいといえば、七面倒くさい。しかし、昔のヨーロッパの貴族やインテリが読んでいた本は、みんなこうだったという。つまり『熊野路』は、組み方にせよ製本にせよ、なんとも優雅な1冊なのだ。
 せっかくのご縁だから、この優雅な本を、ひとつ、読んでみることにするか。
 そう思って読み始めたところ、全体の3分の2くらいまで来たところで、突然、読み続けることができなくなってしまった。中身がつまらないからではない。残りのページは、アンカットの部分が、切られていないのだ。草森先生の蔵書に、勝手にナイフを入れるわけにはいかない。ここまで読んできたのに、残念だけど、しかたない。
 でも、ということは、先生ご自身も、この本を最後まで読み終えることはなかった、ということだ。先生だけではない。この本を最初に買った人も、その次に手に入れた人も、またその次の人も……。
 刊行されてから、70年以上。その間にこの本の所有者となった人が何人いるのか、わからない。しかし、そのだれもが、この本を読み終えなかったことは、確かだ。
 みんな、いったいどんな理由でこの本を求めたのだろう。そして、最後まで読まなかったのは、なぜなのだろう? 開かれなかったページの間には、語られない物語が潜んでいるにちがいない。

その先は永代橋 白玉楼中の人