崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

資料たちも少しづつ音更へ。そして、新しいブログも開設しました!

 「崩れた本の山の中から」というタイトルのこのブログが、円満字二郎さんの発案でスタートしたのは2008年の12月11日。

 目録の入力を進めながら、円満字さんとLIVING YELLOWさんがふと手にとった一冊一冊の本の魅力を語り、草森蔵書の存在とその多様さを発信する――それが、このブログのコンセプトでした。
 写真入りで紹介された本たちは、今、一生懸命に数えてみたら117冊。
 2009年4月26日に全3万1618冊の目録入力が終了して蔵書紹介も終わり、まもなく本たちは北海道へ旅立つわけです。
 (目録の校正は悲願、必須でしたが、2008年6月から続く倉庫代を維持できず、寄贈先にお任せすることになりました)

 ブログで紹介された本は、『キング』の付録「明治大帝」(昭和2年)があるかと思えば、安野モヨコの『ハッピーマニア』、内田吐夢『映画監督五十年』など本当に多種多様で、何度読んでも好奇心を揺さぶられ、本の不思議に引きずり込まれてしまいます。
 もっと多くの本たちを紹介することができたら、かってない壮大な蔵書ブログになったことでしょう。う〜ん、残念!

 さて、あの日々から2年余り。回想集『草森紳一が、いた。』も完成し、資料たちの片づけが残っています。
 先日、重複を気づかずに草森さんが購入していた本たちを帯広大谷短大にお送りしました。「経費の足しに売るか!」と心が動いたのですが、「重複にも意味がある。売るぐらいなら記念室に」という田中教授からのお申し出で北海道行きとなりました。この他、啄木関連のコピー資料(来年は石川啄木の没後100年です)、柳原白蓮の恋愛騒動時の新聞記事も含む大量の資料、明治天皇大正天皇資料、かと思えば霊所探訪資料などのごちゃごちゃグッズから、『不許可写真』(文春新書)資料、『文字の大陸 汚穢の都』(大修館書店)としてまとまった「しにか」連載時の生原稿、ゲラなど、段ボール箱4箱半になりました。整理ができたものから徐々に送っていきたいと思います。

 「崩れた本の山」と随時送られる資料などは、東中音更小学校(廃校)で、ボランティアの人たちによって整理が進められています。蔵書整理プロジェクトのやまだひろみさんたちも「北海道まで行って、お手伝いしたいっ!」と言うほど!
 十勝のすがすがしい空気は、きっと皆をリフレッシュしてくれるでしょう。

 本たち以外のニュースもちらほら聞こえてきます。進行中の新刊のこと、ほんの小規模ですが写真展の こと……それら草森紳一をめぐるあれこれについては、
 「その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ」http://d.hatena.ne.jp/s-kusamori/ 
という新ブログで、お伝えしていきます。

 これからも両ブログをどうぞよろしくお願いいたしま〜す!


(「崩れた本の山」の新しい住処。旧東中音更小学校。写真提供:十勝毎日新聞

その先は永代橋 白玉楼中の人