崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

つむがれ続ける物語



 遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
 年末から年始にかけて、厳しい寒さが続いていますね。日本海側にお住まいの方々、大雪は大丈夫でしょうか? ここ練馬でも、年が明けてからは毎日のように、氷点下の冷たい朝が続いています。
 寒さ、という点では東京など比較にもならない、十勝の平原から、昨年末、新聞記事がいくつか、届きました。まずは、『十勝毎日新聞』。12月の14日から16日にかけて3回にわたって連載された、「知の軌跡〜帰ってきた草森蔵書」という記事です。
 1回目は、草森先生と交流のあった帯広の方々を中心に、2回目は、われわれ「蔵書整理プロジェクト」の活動を、3回目は帯広大谷短期大学の受け入れをまとめてくださっています。その3回目だけ、スキャニングして転載させていただきました(クリックすると別窓で拡大表示されます)。この中で、酒井花記者は次のように記しています。

 「これは宝の山だ」「聞きしにまさる驚き」―。今月6日、同校舎内でボランティアによる蔵書整理が初めて行われた。中国語で書かれた古書や高価な美術書、写真集、少女漫画や手塚治虫全集、江戸・明治の文化など、幅広いジャンルの本が次々と段ボールから顔を出し、参加者を魅了した。
 いよいよ、十勝での作業が始まった……。そう考えるだけで、わくわくします。東京組がやったのは、あくまで下準備の下準備程度のこと。本当の意味での「蔵書整理」は、十勝のボランティアの方々によって、ゆっくりと進められることでしょう。
 もう1つの記事は、12月27日付の『北海道新聞』夕刊。なんと1面トップで、「知の森 音更に 評論家・故草森紳一さんの資料室オープン」という見出しが躍っています。その最後で、鹿内朗代記者は、大谷短大の田中厚一教授の次のようなコメントを伝えてくれています。
 「本を広げて、付箋が張ってある部分を眺めて、草森さんの思想に触れながら、数年かけて作業を進めたい」
 数年といわず、十数年でも、数十年でもかまわない。だって、本たちは数十年、ものによっては数百年の時間をかけて、十勝の大地へと集まってきたのですから。本たちの世界では、時間のスケールは人間界の常識とは異なります。彼らを主人公にした物語の中では、知の巨人・草森紳一でさえ、一章のエピソードにすぎないのかもしれないのです。
 ボランティアの方々によって、物語の新しい章が開かれます。そして、これから先、草森蔵書を手に取る方々すべてによって、物語はつむがれ続けていくことでしょう。

その先は永代橋 白玉楼中の人