資料たちも少しづつ音更へ。そして、新しいブログも開設しました!

 「崩れた本の山の中から」というタイトルのこのブログが、円満字二郎さんの発案でスタートしたのは2008年の12月11日。

 目録の入力を進めながら、円満字さんとLIVING YELLOWさんがふと手にとった一冊一冊の本の魅力を語り、草森蔵書の存在とその多様さを発信する――それが、このブログのコンセプトでした。
 写真入りで紹介された本たちは、今、一生懸命に数えてみたら117冊。
 2009年4月26日に全3万1618冊の目録入力が終了して蔵書紹介も終わり、まもなく本たちは北海道へ旅立つわけです。
 (目録の校正は悲願、必須でしたが、2008年6月から続く倉庫代を維持できず、寄贈先にお任せすることになりました)

 ブログで紹介された本は、『キング』の付録「明治大帝」(昭和2年)があるかと思えば、安野モヨコの『ハッピーマニア』、内田吐夢『映画監督五十年』など本当に多種多様で、何度読んでも好奇心を揺さぶられ、本の不思議に引きずり込まれてしまいます。
 もっと多くの本たちを紹介することができたら、かってない壮大な蔵書ブログになったことでしょう。う〜ん、残念!

 さて、あの日々から2年余り。回想集『草森紳一が、いた。』も完成し、資料たちの片づけが残っています。
 先日、重複を気づかずに草森さんが購入していた本たちを帯広大谷短大にお送りしました。「経費の足しに売るか!」と心が動いたのですが、「重複にも意味がある。売るぐらいなら記念室に」という田中教授からのお申し出で北海道行きとなりました。この他、啄木関連のコピー資料(来年は石川啄木の没後100年です)、柳原白蓮の恋愛騒動時の新聞記事も含む大量の資料、明治天皇大正天皇資料、かと思えば霊所探訪資料などのごちゃごちゃグッズから、『不許可写真』(文春新書)資料、『文字の大陸 汚穢の都』(大修館書店)としてまとまった「しにか」連載時の生原稿、ゲラなど、段ボール箱4箱半になりました。整理ができたものから徐々に送っていきたいと思います。

 「崩れた本の山」と随時送られる資料などは、東中音更小学校(廃校)で、ボランティアの人たちによって整理が進められています。蔵書整理プロジェクトのやまだひろみさんたちも「北海道まで行って、お手伝いしたいっ!」と言うほど!
 十勝のすがすがしい空気は、きっと皆をリフレッシュしてくれるでしょう。

 本たち以外のニュースもちらほら聞こえてきます。進行中の新刊のこと、ほんの小規模ですが写真展の こと……それら草森紳一をめぐるあれこれについては、
 「その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ」http://d.hatena.ne.jp/s-kusamori/ 
という新ブログで、お伝えしていきます。

 これからも両ブログをどうぞよろしくお願いいたしま〜す!


(「崩れた本の山」の新しい住処。旧東中音更小学校。写真提供:十勝毎日新聞

神戸元町の海文堂書店、神田神保町の三省堂でも!

 神様の予定表は……?と、今までの人生で思ったことが何度もありました。
 ニュージーランドの震災のニュースには、阪神大震災を思い出して泣いてばかりいました。このたびの巨大地震津波には、ただただ呆然とするばかりです。
 しかし、たとえ無力であっても、自分にできることを考え、やっていかなければなりませんね。
 亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災者のみな様に心よりお見舞い申し上げます。わずかづつでも、より良い方向に進んでいきますように。

 3月6日付けブログで、回想集『草森紳一が、いた。』の取り扱い書店をご紹介しましたが、新たに2店を追加いたします。
 ユニークな活動で知られる神戸の海文堂書店、それに三省堂三省堂からは、「いつも蔵書整理のブログを読んでいますので、ぜひ扱いたい」と売場の女性からありがたいお電話をいただきました。そして16日、印刷所から納品。仕入課の方とお電話でやりとりの、まさにその時に東京がちょっと揺れましたが、「今からもう並べます!」とおっしゃってくださいました。
 書店の方々、ありがとうございます。 どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

またまた宣伝。草森紳一回想集が、書店で手に入ります!

 執筆者の方々からのご紹介や、この蔵書整理のブログを通じて、『草森紳一が、いた。』は、着実に一冊、一冊と売れ続けています。まるで静かにしみわたっていくように、読者の元に本が届けられるのは、編集者として、とてもありがたく、うれしいことです。

 「草森さんのことを全然知らない人にも手にとっていただきたいですよね」。
 そうおっしゃって下さった書店の方のお力添えで、本屋さんに並ぶことになりました!
 ご紹介くださった出村弘一さん他、筆者の方々、本当にありがとうございます!!

 印刷部数が限られている自費出版の本ですから、委託販売という方法です。
 一般の本好きの方々に見ていただける場所が与えられたのは、なんとも嬉しい限り。
 去年の酷暑の夏、制作に励んでいた頃は、お気に入りの書店や北海道の書店にまで『草森紳一が、いた。』を置いていただけるなんて、夢にも考えませんでした。
 みなさん、ぜひ足を運んでいただければ幸いです。ご購入いただいた方々もぜひ宣伝していただければうれしいです。

◎現在の取り扱い書店
ジュンク堂(池袋本店、新宿店、MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店、吉祥寺店、霞が関 プレスセンター店、大阪本店、 MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店、神戸 三宮店、福岡店、札幌店)
東京堂(ふくろう店・神田神保町)、ダーヴィンルーム(下北沢)、森岡書店(茅場町)、往来堂書店(千駄木)、帯広喜久屋書店

 もちろん今までどおり、info@harumi-inc.com とFAX 03-3487-7278でも受付中です。

[新聞紹介記事]
十勝毎日新聞(1月6日)、北海道新聞(1月20日十勝帯広版)、神戸新聞(2月27日)、告知は読売新聞(3月6日)、北海道新聞(3月13日頃)
[WEB掲載記事]
エキサイトレビュ―「整理なんかいらん! 断捨離とは正反対、草森紳一という生き方」
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20110217/E1297873807533.html

ちょっと宣伝。草森紳一回想集『草森紳一が、いた。』完成しました!

 ご報告が遅くなってしまいましたが、11月21日付けのブログでお伝えしていた草森紳一の回想集、寅年の年末になんとか間に合わせることができました。
 でも12月20日に納品されたのは関係者分だけで、1月になってようやく残りが届き、ホッとしたところです。

 執筆者のお一人、相原亨様からいただいたうれしいメールと写真をご紹介します。

「〜〜〜編集、装丁、表紙の写真、全てがすばらしい出来映えです。
 本を手にした時、草森さんが仙台に現われた様な感じでした。
 記念写真を撮ろうと思い、近くの公園に出かけました。
 ファインダーを覗いていると草森さんを撮っているような錯覚に陥りました。
 草森さんを思いながらゆっくり読もうと思っています。〜〜〜」

 相原さんはじめ、温かい感想をお寄せくださった執筆者の方々、ツイッターなどで宣伝をしてくださっている皆さん、早々とご注文いただいた皆様方に感謝です! 口コミで熱く拡がっているようです。

 思いがけず500ページを越える大部の本になってしまいましたが、自費出版で(ハラハラしながらも)エイヤッと1000部印刷。ぜひぜひ幅広く読んでいただきたく、実費(送料込3300円)でお分けしています。

 内容の概略は以下のとおりですが、高橋睦郎氏によるすばらしい追悼詩、大倉舜二氏撮影の若き日のポートレイト、草森原稿が掲載された『話の特集』や『デザイン』などの見開きページ、貴重な生原稿やゲラも紹介しています。
草森紳一が、いた。 友人と仕事仲間たちによる回想集』
内容 1)78名の友人、編集者たちが語る「最後の文人草森紳一の素顔
2)「草森紳一を偲ぶ会」(2008年6月27日)スピーチ採録
3)表紙写真入り著作一覧、活動を始めた60年代からの連載一覧 など
仕様四六変型(154×215 cm)  総528頁
[WEB掲載記事]
友人らが「草森紳一」回想集  2011年01月06日 十勝毎日新聞
http://www.tokachi.co.jp/news/201101/20110106-0007661.php

お問合せは、<草森紳一回想集を作る会>
info@harumi-inc.com か、FAX 03-3487-7278まで。

どうぞよろしくお願いいたします!!

つむがれ続ける物語



 遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
 年末から年始にかけて、厳しい寒さが続いていますね。日本海側にお住まいの方々、大雪は大丈夫でしょうか? ここ練馬でも、年が明けてからは毎日のように、氷点下の冷たい朝が続いています。
 寒さ、という点では東京など比較にもならない、十勝の平原から、昨年末、新聞記事がいくつか、届きました。まずは、『十勝毎日新聞』。12月の14日から16日にかけて3回にわたって連載された、「知の軌跡〜帰ってきた草森蔵書」という記事です。
 1回目は、草森先生と交流のあった帯広の方々を中心に、2回目は、われわれ「蔵書整理プロジェクト」の活動を、3回目は帯広大谷短期大学の受け入れをまとめてくださっています。その3回目だけ、スキャニングして転載させていただきました(クリックすると別窓で拡大表示されます)。この中で、酒井花記者は次のように記しています。

 「これは宝の山だ」「聞きしにまさる驚き」―。今月6日、同校舎内でボランティアによる蔵書整理が初めて行われた。中国語で書かれた古書や高価な美術書、写真集、少女漫画や手塚治虫全集、江戸・明治の文化など、幅広いジャンルの本が次々と段ボールから顔を出し、参加者を魅了した。
 いよいよ、十勝での作業が始まった……。そう考えるだけで、わくわくします。東京組がやったのは、あくまで下準備の下準備程度のこと。本当の意味での「蔵書整理」は、十勝のボランティアの方々によって、ゆっくりと進められることでしょう。
 もう1つの記事は、12月27日付の『北海道新聞』夕刊。なんと1面トップで、「知の森 音更に 評論家・故草森紳一さんの資料室オープン」という見出しが躍っています。その最後で、鹿内朗代記者は、大谷短大の田中厚一教授の次のようなコメントを伝えてくれています。
 「本を広げて、付箋が張ってある部分を眺めて、草森さんの思想に触れながら、数年かけて作業を進めたい」
 数年といわず、十数年でも、数十年でもかまわない。だって、本たちは数十年、ものによっては数百年の時間をかけて、十勝の大地へと集まってきたのですから。本たちの世界では、時間のスケールは人間界の常識とは異なります。彼らを主人公にした物語の中では、知の巨人・草森紳一でさえ、一章のエピソードにすぎないのかもしれないのです。
 ボランティアの方々によって、物語の新しい章が開かれます。そして、これから先、草森蔵書を手に取る方々すべてによって、物語はつむがれ続けていくことでしょう。

蔵書をいったいどうするか(番外編7)十勝ブルーの空の下、本たちの物語は続く。

 11月30日(火)も美しいお天気! ホテルの窓から見下ろす帯広の街のそこかしこに雪が残ってキラキラと輝いている。
 8時半にホテルを出て、大学へ向かった。とにかく、北海道は広い。どこへ行くにも車は欠かせない。草森蔵書を寄贈した帯広大谷短期大学は、果てしなく小麦畑が広がる音更町の「希望が丘3番地」に建っている。まるで青春小説の舞台のようだ。

 本たちが保管されている東中音更小学校(廃校)は、大学から15キロほど離れたところにある。本たちは昨年11月、東京からの長旅を終えて長流枝小学校(廃校)に収められた。そして今年の8月、より近くて暖房設備もある東中音更小学校に移された。

 校舎に入るとひっそりと長い廊下が続き、歴代の校長先生の写真が掲げられている。トイレも講堂もなんて小さいこと! 妖精が住んでいるにちがいない。
 廊下の突き当たりに、半円の出窓のように明るく広いスペースがある。ここは増築された部分だそうで、3万冊の重みにも耐えるし、作業もしやすそうだ。

 一年ぶりに段ボール箱と再会! 「あ、コレ、私の字」と、東京で付けたジャンルの紙を指差して叫ぶ坂口さん。「コレは私」とひろみさん。「黒板もパソコンもありますね」と早速仕事でも始めそうな中島さん。箱を開けて、しげしげと本を眺めている岡先生、目を丸くしてただ見とれている馬場さんに清水さん。椎根さんは、「いやあ、整理をする人を“草森屯田兵”とでも名付けたいね」と。教員宿舎も残っているので、「図書館ホテルにでもすれば」「草森ビレッジっていうのはど〜お?」と勝手なおしゃべり。案内して下さった田中教授、斎藤先生、永井事務局長たちはただニコニコと聞いてくださっている。

 それから、先生たちの車で書庫「任梟盧」(にんきょうろ)へ向かった。草森さんが1977年に建てたサイロのようなこの書庫には約3万冊の本が収蔵されている。ここでも皆、子どものように感嘆の声をあげながら、本に見入った。これで草森さんの本たち約6万冊が、故郷の音更町にそろったことになる。

 去年の夏ごろ、東京の本の運命は風前の灯だった。私は心配で眠れない日々を過ごしていた。自分で安い土地を探すのはどうだろうか……。初めての音更行きの時、バスの窓から見た、モスグリーンの屋根の、ほどよく古びた牛舎が印象に残っていた。
「ねえ! 牛舎を図書館にするのはど〜お? 壁面は全部本棚!」
 アルベルト・マングェルの『図書館』(正確にはP132〜133)が脳裏に浮かび、そう言うと、Living Yellow氏が一言、「臭いますよ」。
 私の壮大な夢は、あえなくしぼんでしまった。もっとも、何をするのだって資金が問題だ。倉庫代の捻出は奇跡的に可能になったけれど、これからは……
 そして、秋になってめでたく故郷への一括寄贈が実現し、本たちは海を渡った。

 草森さんは、深夜一人で永代橋の水音を心の中で聴きながら、本の宇宙を楽しんだことだろう。
 今私たちは、十勝の風に吹かれながら、この幸せな本たちと対話することができる。

 プロジェクトの始まりのころ、円満字さんが「コンセプトを超えて現実が成長する。それを楽しみましょう」と言った。
 中心になった円満字さんとLiving Yellow氏は、折悪しく草森記念資料室のオープニングには出席できなかったが、田中教授は「本は永久にここにありますからね。また機会がありますよ」とおっしゃった。
 そうだ。とうとう終の棲家にたどりついたのだ。
 本たちと本を巡る人々の物語が、これからも大きく成長していきますように!

 蔵書整理を支え続けてくださった皆さん、受け入れてくださった皆さん、本当にありがとうございました。

蔵書をいったいどうするか(番外編6)刺激的でダイナミックな記念講演

 さて、11月29日(月)草森記念資料室の開館日、4時から記念講演「真の知の巨人」が始まった。講師の椎根和さんはマガジンハウスの『hanako』『popeye』など数々の雑誌の編集長を務めた人。草森さんの友人でもあり、『荷風永代橋』『中国文化大革命の大宣伝』(下巻)の跋文も書いていらっしゃる。
 草森さんが亡くなる前年の暮れにも一緒に永代橋周辺を飲み歩いたとお聞きしていたので、酒場で語り合った楽しい話が出るかと思いきや、会場のホワイトボードには、
 「斜の視覚感覚/長安男児あり、二十にして心已に朽つ/李白 杜甫 韓愈 白居易/李賀=李長吉/文字の大陸・汚穢の都/1450ダ・ビンチ→線遠近法理論/1500王陽明→写真伝神」
と、こちらの教養!(ない、と草森さんによく言われたものだ)を試されるような文字が並んでいる。

 「草森紳一は明治以来の最大の読書家。PCで言えばウィキぺディアの全部が頭に入っていた人。目の前のことを書くだけでは知の巨人と言えないが、時代を見通したうえで書いた真の知の巨人だった」と椎根さんは語り始めた。

 芸術文化とされるものが限られていた時代に、ファッションも写真もマンガも宣伝も知の活動の一つ、文化(サブ・カルチャー)と捉えて評論した。写真についても王陽明から説き起こすなどして、知的な影響力を与えた。書き手としての草森さんは自分たちの目標、理想だったと。
 慶應の学生時代、草森さんは新宿の伝説的なジャズ喫茶「キーヨ」で唐の詩人李賀を読みふけったそうだ。李賀が生きた820年頃は、人類が最初の知的な視角、視野をもったと言える時代で、李賀を読むことで草森さんは俯瞰と斜の視角をもつようになった。その「斜の視覚」は『歳三の写真』他の著作にうかがえると言われ、また伊藤博文榎本武揚など明治人の中国原体験をまとめた『文字の大陸 汚穢の都』(大修館書店)は、8年以上前に書かれた文章にもかかわらず、まさに今の日本が直面している北方領土、沖縄問題、中国人の国民性、外交交渉などにふれていて、草森さんの知の感覚がいかに優れていたかということがわかると強調された。

 篠山紀信奥野信太郎、遠近法、フェルメール、幕末の写真映像、高橋睦郎司馬遼太郎と李賀、龍馬などの言葉がいっぱい飛び交った。

 「流行遅れになることを書くな」「原稿を渡すことは生命のやりとりだ」という草森さんの物書きとしての姿勢は、韓愈から影響を受けたのではという指摘も。
 原稿を書き終わった直後の草森さんの荒廃した顔は、精神と体力の全エネルギーを文字にのり移らせた後のものだったと回想された。

 椎根さんは出版社時代に三島由紀夫の担当だった。贅を尽くした生活をし、お金のかかる軍隊までつくり、最後に切腹した三島と、お金のことなど考えずに自分が書きたいことだけを全精力を傾けて執筆し、万年床の中で死んだ草森さんと。この二人の知の巨人の死に様の相違……。どんなに短い文章も生命のやりとりと考えていた草森さんに対して、私軍隊の費用をまかなうために、小説を書いた三島……。三島は文に復讐されたといってもよい。讐という文字には「代価をはらう」という意味がある。文を生きているものとしてあつかった草森さんは、最高の隠者のように死をゆるした――

 約50人の聴衆はしんと聞き入った。草森紳一への思いにあふれ、かつ知的好奇心を刺激される一時間だった。

 翌日は、3万冊が保存されている廃校と書庫を見学予定。東京組は3時過ぎの飛行機で帰京予定だから、早起きをしなければ……。続きは次回に。