11月30日(火)も美しいお天気! ホテルの窓から見下ろす帯広の街のそこかしこに雪が残ってキラキラと輝いている。
8時半にホテルを出て、大学へ向かった。とにかく、北海道は広い。どこへ行くにも車は欠かせない。草森蔵書を寄贈した帯広大谷短期大学は、果てしなく小麦畑が広がる音更町の「希望が丘3番地」に建っている。まるで青春小説の舞台のようだ。
本たちが保管されている東中音更小学校(廃校)は、大学から15キロほど離れたところにある。本たちは昨年11月、東京からの長旅を終えて長流枝小学校(廃校)に収められた。そして今年の8月、より近くて暖房設備もある東中音更小学校に移された。
校舎に入るとひっそりと長い廊下が続き、歴代の校長先生の写真が掲げられている。トイレも講堂もなんて小さいこと! 妖精が住んでいるにちがいない。
廊下の突き当たりに、半円の出窓のように明るく広いスペースがある。ここは増築された部分だそうで、3万冊の重みにも耐えるし、作業もしやすそうだ。
それから、先生たちの車で書庫「任梟盧」(にんきょうろ)へ向かった。草森さんが1977年に建てたサイロのようなこの書庫には約3万冊の本が収蔵されている。ここでも皆、子どものように感嘆の声をあげながら、本に見入った。これで草森さんの本たち約6万冊が、故郷の音更町にそろったことになる。
去年の夏ごろ、東京の本の運命は風前の灯だった。私は心配で眠れない日々を過ごしていた。自分で安い土地を探すのはどうだろうか……。初めての音更行きの時、バスの窓から見た、モスグリーンの屋根の、ほどよく古びた牛舎が印象に残っていた。
「ねえ! 牛舎を図書館にするのはど〜お? 壁面は全部本棚!」
アルベルト・マングェルの『図書館』(正確にはP132〜133)が脳裏に浮かび、そう言うと、Living Yellow氏が一言、「臭いますよ」。
私の壮大な夢は、あえなくしぼんでしまった。もっとも、何をするのだって資金が問題だ。倉庫代の捻出は奇跡的に可能になったけれど、これからは……
そして、秋になってめでたく故郷への一括寄贈が実現し、本たちは海を渡った。
草森さんは、深夜一人で永代橋の水音を心の中で聴きながら、本の宇宙を楽しんだことだろう。
今私たちは、十勝の風に吹かれながら、この幸せな本たちと対話することができる。
プロジェクトの始まりのころ、円満字さんが「コンセプトを超えて現実が成長する。それを楽しみましょう」と言った。
中心になった円満字さんとLiving Yellow氏は、折悪しく草森記念資料室のオープニングには出席できなかったが、田中教授は「本は永久にここにありますからね。また機会がありますよ」とおっしゃった。
そうだ。とうとう終の棲家にたどりついたのだ。
本たちと本を巡る人々の物語が、これからも大きく成長していきますように!
蔵書整理を支え続けてくださった皆さん、受け入れてくださった皆さん、本当にありがとうございました。