崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

三年。

 年も押しつまり。乱雑な自室で、一応の整理などしていた。あれこれ並べていて、ふと気になるものを、自分のものでないものを発見してしまった。今頃、すべて、北の地にあるはずの草森紳一、氏の御蔵書である。
 「新美術新聞 2006年10月21日号」((株)美術年鑑社)。
 当方のおぼろな記憶では、たしか、他の御蔵書にはさまっていたような。いや、言い訳はよしておこう。「確保」した今、あとは、きちんと分かるように封筒に入れておいて、お戻しする機会を待つだけだ。
 これも何かの縁だろうと。全体にざっと目を通す。
 トップはルーカス・クラナッハルーベンス、ファン・ダイク、レンブラントなど、ウィーン美術アカデミー所蔵の名作を擁する、ウィーン美術アカデミーの名品展(損保ジャパン東郷青児美術館)の記事。レンブラントの「若い女性の肖像」、それに、ファン・ダイクの自画像が紙面を彩っている。そして。一きわ大きく、クラナッハの「不釣り合いなカップル」。この最後の画、枠外上に、ボールペンで◎、がしるされている。もっとも全体の大見出しの下でもあるので、この◎がこの絵を指すものか、は判然としない。
 そして、その下に目を移す。「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢 アンリ・ルソーと素朴派、ルソーに魅せられた日本人美術家たち」(世田谷美術館)の記事。2点図版が添えられている。アンリ・ルソー「熱帯風景、オレンジの森の猿たち」、岡鹿之助「信号台」。こちらには記事中、世田谷美術館の「田」の字の上に、ぽつんと小さな墨痕が。
 あとは。痕跡は、この紙上には何も残されていない。
 2006年10月。もう3年前。わずか3年前。

その先は永代橋 白玉楼中の人