崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

蔵書をいったいどうするか(番外編)遺品をいったいどうするか

 クリスマスが過ぎて、今年も残り数日。この季節になるといつも思い出すことがある。
 30年ほど昔の12月25日だった。草森紳一さんに寄稿していただいた作品集が出来上がり、同僚と二人でお目にかかって何気なく、「今日はクリスマスですね」と言ったとき、
「エ〜〜ッ! クリスマスなんて(世間は)まだやってるの?」
 草森さんの素っ頓狂な声が返ってきた。一仕事終わった直後か、ボロボロの風体だった。浮世離れした人だと思うより、私は少し恥じ入った。ここは日本だから、確かに変なのは世間なのだと。

 さて、「蔵書をいったいどうするか」という連載は13回(11月22日付)でめでたく終了!
 3万冊余りの本たちは十勝平野のとある廃校で、厳しい冬を体験中だ。

 「ど〜〜うしよう!」と思うものは、まだまだたくさんあって、それらの整理整頓が次なる課題。とくに生原稿や赤字の入ったゲラの類は、70年代のボールペンのものから2000年代の毛筆のものまで膨大にある。蔵書と同じに帯広大谷短大に寄贈させていただく予定だけれど、整理が終わるのはいつになるやら・・・
 その生原稿類の一部が、独特編集の古書情報誌として名高い『彷書月刊』(09年10月号)で特集された。題して「草森紳一の右手」——

 『文学界』に掲載された「本が崩れる」の毛筆原稿や、『ユリイカ』連載の「荷風永代橋」の膨大な赤字が入ったゲラ、文化大革命の年表メモや、ああでもないこうでもないと目次構成を推敲している手書きメモなど。見ているだけで気が遠くなってしまう。これらをなんとか読解しつつ入力し、更なる果てしない赤字にも耐えた担当編集者の苦悩と快楽を想像すれば・・・・・・

 この『彷書月刊』の草森さんの写真に目を留めた編集者のHさんが、「あれ、草森さんダブルなんか着るんですか」と言われた。黒のダブルジャケットにバーバリーのコートを引っ掛けた90年代の写真だ。もちろんダブルも、三つ揃いもお召しになる。草森さんはおしゃれで、オーソドックスなものまできちんと着こなせる人だった。遺された衣類も大量!
 この黒のダブルの胸ポケットには疾走する虎と草森印を刺繍したエンブレムが付いていて、着ることに対する草森さんの遊び心がとてもよく分かる。
 草森さんは寅年で、虎は守り神だった。950冊だけ限定出版された『だが、虎は見える』(村松書館 75年)という本もある。門前仲町のあのマンションの本の山は、草森虎の住む竹林だったのかもしれない。

 さて来年は、お元気なら72歳の年男。亡くなってから7冊の本が出て、来年には4冊の予定が決まっている。草森紳一はいまだミステリーの存在。少しづつ物書きとしての全体像が見えてくるのだろう、とてもエキサイティングだ。
 みなさま、今年一年ありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎え下さい!

その先は永代橋 白玉楼中の人