崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

蔵書をいったいどうするか(10) まったくもって奇跡の日々

 目録作りが終わってから2ヵ月余が過ぎた。
 この連載のタイトルは『蔵書をいったいどうするか』だけれど、で、結局、「蔵書はいったいどうなるの?」と心配してくださっている方が多いと思う。
 すみません! まだご報告できる段階ではありません! 手をこまねいているわけではないのだけれど。「ご心痛はいかばかりか」といったメールをいただくとありがたくて、さすがにこたえてしまう。これまでの、生活に追われてただただ懸命に働いてきた年月を考えれば、現在の収支はいったい、どうなっているのやら。我ながら、よく持ちこたえているものと思う。

 草森紳一が25年間暮らした門前仲町のマンション——あの本の洞窟から蔵書の半分を引越しさせたのは、昨年の6月11日。あじさいが満開の梅雨の季節だった。翌々日から倉庫でのジャンル分け作業を始め、6月27日には九段会館で「草森紳一さんを偲ぶ会」。そして7月8日には残り半分の蔵書の引越し。
 あの怒濤のような日々から、もう1年が経ったのだ。

 「アナタ、まさか草森さんの蔵書を片付けるつもりじゃあないでしょうね。死ぬわよ」引越し前に、ピシャリ言った辣腕編集者のNさんも、目録完成を伝えると「奇跡よ」と一言。プロジェクトの仲間たちからも何度聞いたことか。「ブログもできたし、HPもできたし、目録だってできたし。こんなことフツ〜ではないですよ〜〜奇跡! 奇跡!」

 フツ〜でないことは、蔵書整理プロジェクトの外でも起った。
 ブログにコメントを寄せてくださったことがある笑酢さんと不忍ブックストリート一箱古本市のご協力で、5月初め、私たちの活動を伝えるりっぱなチラシができたのでした。このことがきっかけになって、『彷書月刊』6月号に「草森さんの本は川を渡って」(南陀楼綾繁)という取材記事が掲載される。
 それとは別に5月18日、わがプロジェクトのブログに北海道新聞から取材依頼のメールが飛び込む。記者の方によれば、千駄木往来堂書店で偶然チラシを目にされたのだという。なんてラッキー!
 そして6月18日の北海道新聞に、蔵書整理の様子が大きく写真入で掲載されたのでした。

 出会いの奇跡をすなおに喜びたい。感謝したい。私たちはこれらを草森マジックと呼んだ。別のアジトでは、毛筆の生原稿や凄みのある校正ゲラ、謎の数式がいたるところに見られる創作ノート等々も整理中。さあ、次のマジックを楽しみにもうひとふんばり。

その先は永代橋 白玉楼中の人