崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

蔵書をいったいどうするか(番外編3)それぞれの5月

 草森さんのとても親しかった友人のひとり、ジャーナリストのばばこういちさんが4月9日に亡くなられた。
 2008年6月の<草森紳一を偲ぶ会>のスピーチで、
「非常にぼくは腹が立っている。5歳も年下の男が、共に90歳になっても生きていこうと言っていたにもかかわらず、さっさと死んでしまう。〜〜〜息子さんもお嬢さんも、これほど多くの人から愛された父親をもったことを誇りに思って生きて行っていただきたい」と、まっすぐ声を震わせ言った人だ。
 草森さんが最初に体調を崩した5年前の5月の連休に、鎌倉のばばさん宅で静養させていただいている。新緑と美耶子夫人のおかゆと。至福の時間だったに違いない。
 これからは、頼りにさせていただきたいこといっぱいあったのに。無性に寂しい。

 蔵書整理第二部(目録入力)が完了してから丸一年が経つので、『文字の大陸 汚穢の都』(大修館書店)の出版祝いも兼ねて、入力仲間たちと久しぶりに集った。
 場所は、Living Yellowさんご推薦の龍家菜。昨年の打ち上げは、お座敷に座り込んでの中華だったけれど、今年は、大きな円卓を囲む。

 連休直前というのにまだまだ寒くて雨も降っていた。仕事が終わらないのか、直前になって「行けません!(泣)」というメールも入ったけれど、懐かしい顔が10人揃った。
 あの倉庫での入力の日々と違って、職場から駆けつけた人は、ネクタイをしていたり(当たり前?!)、きりっとオシャレなオフィス・スタイルだったりで見違える。手に持っているのは書類用バッグで、パソコンではない。

 ふっと、あの秘密のアジトでの日々を思い出す。
 秋から春がめぐるまでの季節、毎週毎週アジトに通って、段ボール箱から本たちを取り出しては、書名や著者名、版元、出版年まで入力する。一体何冊あるのか・・・気の遠くなるようなはてしない作業・・・。入力しているとき、トントンと階段を上がってくる足音がすると、だれが現れるのか、分かったものだ。

 1年ぶりの集いの話題は、独立して引越しして再出発という人、仕事が減って困ったという人、本を出しましたという人、職場のストレスを聞いてという人などそれぞれで・・・遅くまでよくしゃべり、よく飲んだ。
 数日前に北海道から届いた「開設準備が本格化」の十勝毎日新聞の記事も回し読み。本当にここまで来れたのは、入力仲間の支えがあってこそ。それに、草森マジックの後押しも?!

 草森さん、ばばさん、これからも見守っていてくださいね。

その先は永代橋 白玉楼中の人