崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

学問。

 文化人類学。この言葉が、80年代に、一部で持っていた「呪力」というものを、どう説明したらよいものか。相原コージ先生の出世作『文化人類ぎゃぐ』の位置どりなど、そのころに生まれた、若い人にとっては『コージ苑』以上に意味不明な世界だろう。
 宮台真司氏を筆頭とする社会学斉藤環氏などを擁する、精神分析、心理学などが今現在、有する人気、とも少し異なる。その頃も、例えば、社会学には見田宗介真木悠介)氏(『時間の比較社会学』)、精神分析には岸田秀氏(『ものぐさ精神分析』)など、希有な知性と個性を兼ね備えた、「スター」は存在していた。しかし、何かが違った。
 未開とまではいかないまでも、田舎の一男子にとっては。その頃の「文化人類学」には、「もてる」学問の匂いがした。間違っても、カント氏とかウェーバー氏にはない匂い。
 晴れて、文化人類学者になった日には。樋口可南子さん(当時)、戸川純さんとか、YMOの面々から、夜な夜な、電話がかかってくるはずだったのだ。ボルボのちょっと渋い中古車で、雨の西麻布を駆け抜けるはずだったのだ。間違っても、そこのガラステーブルでは、太宰治氏の『トカトントン』とか、坂口安吾氏の『堕落論』などは肴にならないと思いこんでいたのだ。やはり、「ラング」とか「ランダ」とか、「パロール」とか「トリックスター」しか、つまみにはしてはならないのだ。そして、大人の千年王国、打ちっ放しコンクリートに囲まれた、カフェバーの夜は終わらないのだ。
 そんな切ない思いを、HB鉛筆に込めて、藁半紙に「文化人類学」と小さく書いてみたりもした、あの夏の日。

 草森紳一、氏の御蔵書の中の『千年王国と未開社会 メラネシアカーゴ・カルト運動』(ピーター・ワースレイ著、吉田正紀訳、1981年、紀伊国屋書店、原著、1957年、ロンドン)。現在から見ると、観察者としての立ち位置上の問題は否めないにせよ、「カーゴ・カルト」という、それまで興味本位で語られがちであった、メラネシアの近代宗教運動に対峙して、植民地・宗主国関係、経済・政治・文化の基礎にしっかり目配りした、文化人類学の労作である。
 本書をはじめ、学問の中身も知らず、もちろん苦労になど思いをいたさず。ひたすらに「もてたくて」。そんな当方が勝手に脳裏に描いた「文化人類学」。
 イギリス、ドイツ、そして日本、アメリカ。くるくると移り変わる宗主国、占領国の構造的搾取の中、例えば、形だけを真似て、木や草で無線機もどきをつくって、「電波」を待ち、あるいは、汽船もどき、飛行機もどきを作り、「カーゴ」―自分たちの先祖がもたらしてくれる「積荷」、現実の自分たちに、圧政を強いている、現代西洋文明の賜物もまた、たっぷりと含んだ、無償の、有り余る「積荷」を―そして「解放」を待ち望んだ、「未開」と見なされたメラネシアの人々。本書に描かれた、さまざまなメラネシアの「カーゴ・カルト」運動への参加者たち。 
 かつての田舎の図書館で。「日本文化人類学」が放っていた光芒には。この「カーゴ・カルト」、を思わせる魅力が確かにあった。
 あのころ。いったい、何に「支配」されていて、何から「解放」されたかったのだろうか。

その先は永代橋 白玉楼中の人