崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

NO MORE BOOKS! 14 音更の空気を吸って本達は体を伸ばした

約一年と四か月ぶりに寄稿させて頂きます、というのも、十月初旬にたった一泊ですが蔵書の寄贈先となった帯広大谷短期大学を訪問し、開館前の新しい図書室と、残りの本の新しい保管先となった廃校(東中音更小学校)の様子を一番乗りで見学してきました。



私は昨年の夏以降、蔵書プロジェクトの進行について間接的に聞くだけでしたが、田中教授を始めとするここで尽力下さった皆さんから直接お話を聞くほどに、こんな誠心誠意を尽くして下さる方々のいる場所にあの蔵書たちが辿り着くとは夢にも思わなかったなぁ・・・という驚きの気持ちで、うまく感謝の言葉がみつかりませんでした。また、この蔵書の受け入れと図書室の整備には、父の生まれ故郷である音更町が寛大な援助の手を差し伸べてくださいました。

写真は、一部の本が仮に移された図書室です。社会福祉科の斉藤先生が「何かいやなことがあったら、あそこへ行きましょう!」「コーヒーが入れられるようにできたらいいなぁ」と仰っていたのにも、心がほっと温かくなりました。

音更の澄んだ空気を吸って新しい本棚に移動した彼ら蔵書は、どこか晴れ晴れとしてみえます。私が訪問した際には写真や芸術分野の本だけが仮に陳列されていましたが、たった一冊、二冊をふと手に取るともうすぐに時が経つのを忘れてしまう。自分が帯広にいることも。

父が亡くなった時、瓦礫の山のような蔵書を前に、別にこれらの本が残らなくてもいいじゃないかと思いました。物理的に困難なだけでなく、私は父の魂をいつもそばに感じる自信があって、それだけで十分だったのだと思います。けれどこの一年、私は父の声に耳と心を傾ける機会が減り、そして人間の記憶の儚さ・頼りなさに気が付いた時、父の蔵書がすべて故郷の音更町に残されたことをとても有難く思いました。それは私に父の存在を、言葉にもならない迫力で甦らせてくれます。帯広大谷短大の図書室は、私がもう一度父から何かを学び取る機会を与えてくれる、学校のような場所になるのかもしれません。そしてそこを訪れた誰もにとって、草森紳一について関心があろうとなかろうと、自由気ままに巡り逢う本との運命の場所になる。東京には物が溢れているけれど、ここ帯広では、雄大で何もない風景のなかにある短大の一室で本達が、誰かの手に取られて始まるその出会いをいまかいまかと待ってます。

その先は永代橋 白玉楼中の人