崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

NO MORE BOOKS ! 13 陶淵明 番外編  −漫画『桃源記』

 以前に3回連続で、『170 CHINESE POEMS』という洋書の中からT'AO CH'IEN 作「SUBSTANCE, SHADOW, AND SPIRIT」という詩をご紹介した。英訳で初めてこの詩と出会ったのでオリジナルの漢詩について何の知識もなかったけれど、陶淵明の「形影神」だと教わり原詩や日本語の解釈に触れてからますます興味が湧いた。父がどこかで陶淵明のことを書いていないかと探してみたりもした。『漢詩賞遊 酒を売る家』(竹書房/1996)の中に「誤って塵網の中に落つ」というタイトルで淵明の有名な詩「帰園田居」のことを短く書いていたが、「形影神」についてはどう捉えていたのか、聞いてみたかった。
 そうぼんやり思っていた4月中旬のある日、私にとっては週にたった1度の目録入力で、初めて「漫画」と貼り紙された箱を開けた。漫画の入ったダンボール箱は大量にあるが、LivingYellowさんの担当と決まっていたのでこれまで触ることがなかった。でもそろそろ作業も終盤のラストスパートで、私も取り掛かることに。



 漫画は入力を中断して読みふけりたくなる誘惑が断然強いが、そうもやっていられないのでできるだけさっさと手を動かす。それでも何故か、私の手を磁石みたいに止めた一冊が、諸星大二郎作『地獄の戦士』(ヤングジャンプCOMICS)だった。アメコミを思わせる異質な絵の密度とコマ割にどうにも目を奪われつつ、ふと奥付が気になってみたら奇遇にも私の生まれた年・1981年の第1刷発行。予感がいや増して、ぱらっとめくったページの間にはさまっていた紙を発見。それはとある古本屋さんの専用値札で価格は2000円、そのお店の住所を見れば、私が育った家のすぐ側だった。
 何も知らず感覚的に気になった本が、そもそも私と縁がある場所で父の手に渡ったようで「おおっ」と思う。ところがそれだけではなくてー 黄色い付箋が3cm近い長さ、本からひょろっと飛び出しているのに気がついた。ページを開くと・・ 両脇を山に囲まれた河とそこを渡る小さな一艘の舟の絵、上に「東晋の頃 −江南の地」と書いてある。
 2ページめくると大きなタイトル『桃源記』が目に飛び込んできて、そして右側に「桃花源の記」という詩の引用と合せて‘陶淵明’の文字が。ざわざわ、ざわざわ、胸が騒いだ。たちまちこの漫画をめくってみると、これは陶淵明についての、というだけでなく何と「形影神」の詩で最後がしめくくられていた。「形影神」の内容が、ある種全体の主題にすらなっている漫画だと気がつき、もう大声で円満字さんを呼んでしまった(私は特にこのテーマをブログで書いている時、先生に論文を提出するような気分で原稿をお送りしていました)。 
 『地獄の戦士』は6篇の作品から成る短編集だけれど、「ここをみなさい」と言わんばかりに父が貼ってあった付箋、恐るべし。
 漫画『桃源記』を読むと「形影神」の世界がヴィジュアルの情報をぐんと加味して拡がり、さらに容易く咀嚼できないものが見えてきてしまう。物語では淵明と共に行動するもう二人の人物(潜、元亮)が、実は他者ではなく淵明の分身でもあったという形で「形・影・神」のバランスが描かれる。
 最近、あるフィリピン人の先生とル・グウィンの『ゲド戦記』における影のあり方を話題にして、'Taoist philosophy'(老荘哲学)、 'Lao Tzu'(老子)、'yin and yang'(陰と陽)などの単語がぞくぞくと現れ、ル・グウィンにおける東洋思想の影響に改めて気がつかされた。今度その人と、陶淵明の「形影神」についても話してみたいと思っている。
 私が何気なく拾い上げて偶然に出会う、3万冊を超える本の中の、たった1冊、1冊。父は一体どんなテレパシーを送っているのだろう。

その先は永代橋 白玉楼中の人