崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

NO MORE BOOKS ! 8 『170 CHINESE POEMS』 (中) 影から肉体へ

 前回の詩は、陶淵明(365-427年)の「形影神(けいえいしん)」だと教えて頂いた。
 陶淵明は生涯の大部分を廬山(ろざん)の庵で過ごし、一般的には‘田園詩人’とか‘孤高の隠者’として知られる。その中でも49歳の時に書かれたこの詩は、淵明の思想的成熟や死生観を表し、かつ詩に「対話(ダイアローグ)」の手法を導入したユニークさも加わって彼の代表作の一つとみなされているようだ。この機会に陶淵明についての本を色々と図書館で借り漁ってみると、その人間と作品にますます興味をそそられてしまった。

 例えば一海知義氏は『陶淵明−虚構の詩人』(岩波新書/1997)の中で淵明を「人生の後半を隠遁者として送りながら、隠遁生活には徹しきれぬ覚醒感を抱きつづけた」と表して、淵明の中には‘大らかな達観’と‘動揺’の矛盾が同居しており、その矛盾分裂する自己に判定を下す第三の自己が必要となった際に、詩によって「虚構」の世界を構築した、という展開で論じている。この「形影神」も、‘形・影・神’のそれぞれに自己の分身を設定して問答させるという対話の手法でその独自の「虚構」を構築した、詩の一例として紹介されている。このような淵明の葛藤・・・、どこか父に似てはいないかと、親しみを感じてしまうのです。

 オリジナルの漢詩を知りその解釈も日本語で読めたので、もう英語を訳さなくても良いのだが、せっかくだから書いてみる。

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影は応える:

永久に命を保つ方法などない
不死の薬などは愚かしい手段だ
私は喜んで極楽を放浪してみたいと思う
だがそれははるかかなたにあり行く道はない

私があなた(肉体)と一つに結びついた日から
全ての喜びや痛みを分かち合ってきた
あなたが日陰で休んでいる間は、あなたから離れているようにみえるが
日向に出れば私達はいつも共にあるでしょう
この私達共同体は、永遠ではない
悲しい事に共にいつしか消え去るものだ
肉体が滅びるとき名声もまた去らねばならないということは
耐え難い思想であり、心を焦げ付かせる
人が称えるような偉業をまだ私達が成し得る内は、
どうか一緒に奮闘し骨折りたいのだ
(あなたの勧める)酒は確かに私達の悲しみを追い払ってくれるかもしれないが、
それがどうして永続する名声と比べものになどなるだろうか?


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 おそるおそる漢詩の書き下し文とその解釈を幾つかの本で確認し、上の私の言葉と比べると、やはり英語でよくわからなかった箇所は、元の漢詩と内容が違っている。
 特に一段落目の四行は、元の詩では以下になる。日本語は、釜谷武志氏の解釈文(『中国の古典 陶淵明』/角川ソフィア文庫/2004)を引用しました。‘自分の不器用さに苦しんでいる’という言い回しにまたしても親近感が・・・・


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存生不可言 生を存するは言う可からず
衛生毎苦拙 生を衛(まも)るすら毎(つね)に拙なるに苦しむ

「永遠に長生きするなど不可能なことで、
 今のこの生を守るだけでも自分の不器用さに苦しんでいる」

誠願遊崑華 誠に崑華(こんか)に遊ばんと願うも
邈然玆道絶 邈然(ばくぜん)として玆(こ)の道絶えたり

「崑崙山や華山へ行って仙人になりたいと思っても、
 そこへ行く道はあてどもなくはるかにとぎれている」


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それでは次回は、肉体と影の主張に判定を下す、最後の魂(神)のことばをご紹介します。

その先は永代橋 白玉楼中の人