崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

女の子が笑って、照明が消える

 大学1年生の4月のこと。知り合いになったばかりの同級生たちと一緒に、渋谷から地下鉄に乗ったことがあった。そのころのぼくには、「銀座線」という名前だけでも、「東京に来たんだなあ」という感慨をもよおさせるには、十分だったものだ。
 電車は動き出すと、すぐに地下にもぐった。そろそろ次の駅に到着しようとするころ、向かい合って立っていた、背の高い、横浜出身の女の子が、にやにや笑いながら言った。
 「もうすぐ、ちょっとびっくりすることが起こるよ」
 関西弁以外のアクセントで女の子に話しかけられるだけで、なんとも落ち着かない気分になる。その瞬間、車内の蛍光灯が一斉に消えて、壁に取り付けられた古雅な灯りだけがやわらかな肌色の光を放った。「あれっ」と思ったのもつかのま、車内は元どおりになって、電車は表参道の駅に滑り込んでいった。
 「ねっ? ねっ? びっくりしたでしょ?」



 毎日新聞社会部編『地下鉄 ただ今モグラ族1000万』(コーキ出版、1978)を読んでいて、23年振りにこの謎が解けた。銀座線の車両はサイドレールから電気をとっていたのだが、事故などがあったときに全線が停電すると困るので、サイドレールを駅の手前ごとに区切ってある。そこを通過する瞬間だけ、車内は当然、停電してしまうのだが、真っ暗にならないよう、バッテリー回路が働いて予備灯がつくようになっていたのだそうだ。
 本書は、日本の地下鉄開業50周年というタイミングで『毎日新聞』東京版に連載された記事を、再構成したもの。地下鉄をめぐるさまざまな知識が、わんさかと詰め込まれている。それはそれで、すこぶるおもしろいのだが、このころ、「モグラ族」なることばが流行語になったという話は聞いたことがない。奥付を見ると、10月31日初版発行、12月25日第9刷発行となっている。かなり売れたみたいだ。ただ50周年というだけで、地下鉄にそんなに関心が集まるものだろうか?
 そう思って改めて振り返ってみる。1978年。——それは、ブルートレインに代表される、鉄道ブームの時代ではなかったか? 毎日新聞社会部は、そこに着目してこの企画を立てたのにちがいない。
 当時のぼくは、小学校高学年。日曜日になると友だちと一緒に朝一番の阪急電車に乗って梅田まで出かけ、国鉄大阪駅のホームをかけずり回って、ブルートレインの写真を撮っていたものだ。
 時は流れて、ブルートレインはその役割を終えつつある。銀座線の「停電」も、最近ではもう起きなくなっているらしい。カメラを抱えたあのあどけない少年も、上京したばかりの屈折した大学1年生も、今はどこへ行ったのやら。

その先は永代橋 白玉楼中の人