崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

蔵書をいったいどうするか(番外編2)副島種臣関連資料は、九州の佐賀へ

 草森さんの大きなテーマの一つは、副島種臣(そえじまたねおみ)だった。佐賀出身の明治の政治家で、蒼海(そうかい)という号をもつ漢詩人で書家でもある。

 1990年の3月、箱根の老舗旅館、松坂屋に行きたいという事で2人でお供。旅館の玄関を入ると、巨大な書「紉蘭」が待ち受けていたかのように眼前に現れた。草森さんはうれしそうに見入るばかり。何代目かの御主人が「ずっと飾ってはいるものの、読み方も意味もわかりません」と。「じんらんと言ってね、蘭の花の帯のことですよ」と草森さんが応じた事を思い出す。
 (このときの写真は、圧倒されてしまったせいか、ピンボケか、書の上部が切れたものしか残っていない。なんということ!)
その後、文芸誌『すばる』で「紉蘭 詩人副島種臣の生涯」が始まり(91年7月号〜96年12月号)、『文学界』で「薔薇香処 副島種臣の中国漫遊」(00年2月号〜03年5月号)を連載するが、次号完結、次号完結とされながら、結局、完結しないままになってしまった。

 さてその副島に関する資料類をどうするか。
 大型のルーズリーフのファイル3冊は、江戸時代から始まる草森作成「蒼海年譜」で、細かい文字がびっしり並ぶ。貴重な和綴じの『蒼海全集』6冊にも書き込みがいっぱい。執筆ノートの類や、『すばる』『文学界』連載時の生原稿、取材旅行の際に撮影した書の写真アルバム、膨大な資料コピー等、しめて段ボール箱26箱!
 迷った末に、北海道の帯広大谷短大にもご了解をいただいて、副島関連資料は元草森さんの担当編集者で、副島の出版を視野に入れて数年前故郷佐賀へお帰りになった古川英文さん(現在・佐賀城本丸歴史館副館長)に委ねることになった。今後、古川さんと福井尚寿さん(佐賀県立博物館・学芸員)の調査を経たうえで、重要なものは博物館に保存されることになる。
 北海道と九州で草森さんの遺品が保管されるわけで、双方の交流でもできればすばらしいわとまたまた夢のようなことを考えつつ、佐賀県立博物館のHPを見ていた。
 なんと佐賀七賢人のうちの一人は「北海道開拓の父」! 島義勇という名の人だ。
 またご縁が、とさっそく古川さんにメールすると、こんな返信が。
 「島義勇については草森さんが最初に知った偉人だとおっしゃっていました。実は副島種臣の従兄でもあり、さすがの草森さんもそのことは後に知ったのですが。草森さんが副島におとらず関心を示しておられた枝吉神陽(副島の実兄)などなど、草森さんの佐賀の話は止まりませんでした。(中略)あんなに佐賀のことをおもしろく聞かされなかったら、私が佐賀にもどることはなかったでしょう」

 副島資料の行く先も、草森マジックによるものだろうか。巡り巡ってすべてにご縁が・・・。本当におもしろくて不思議! 不思議でおもしろい!

その先は永代橋 白玉楼中の人