崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

蔵書をいったいどうするか(3)埃と猛暑の日々にもめげず

 さて、いよいよ整理初日がやってきた(6月13日)。ボランティアメンバーは11名。幸先が良い。門前仲町のマンションから運び込まれたダンボール箱は、体育館のような広〜い倉庫の壁面に沿ってコの字型に積み上げられているものの、しばし茫然と見上げるばかり。
 寄贈か、売却か、廃棄か。本たちの運命を決める締め切りは7月末。うなってばかりいられない。手を動かしながら、考えること。
 ダンボール箱を開けて、一冊一冊本を取り出して、似たようなジャンルのものを急ごしらえのテーブルの上に置いていく。日本の美術はここ、西洋の美術はこちら、書は別に…… 一山出来上がれば箱に詰めてデジカメ撮影。ガムテープで封をした後、「日本の橋」「オカルト」などとジャンルを書いた紙を張って出来上がり。

 思いのほかの力仕事で、埃よけのマスク、雑巾、軍手、それに暑さを乗り切るマイ水筒は必須だった。作業2日目は土曜日ということもあって、草森さんの担当編集者や、副島種臣の資料調査をする大学院生6名に、友人知人まで加わり総勢18名。遺族3人は、さながら箱詰め工場の不慣れな現場監督のよう。
 毎週金・土と作業回数を重ねるうち、参加者の専門分野が分かってきて、「あ、それはSさんに」「これはEさん」と質問できるようになって格段に整理のスピードが増した。(つまり原書は当然のこと、日本語であっても何の本か分からないものが多かったので)

 いろんな人たちがいた。作業開始の5分前には必ずやって来て、機敏に働いて、終了と共にさっと消える二人組。「オッ、これは今5万はしますよ」と古本相場に詳しいライターのKさん。「夕べ初めて会ったKさんに誘われて参加したんです」というN君を一目見て、「君、面接に来ていなかった?」と出版社のN氏。N氏は、みなが風に吹かれて談笑している休憩時、倉庫の奥で一人本を読んでいたのが思い出される。父上が作家だったT氏は、「父が亡くなったときの蔵書の処分が今も心残りで」と言われた。
 働いていただくばかりの遺族の肩身は狭い。でも、「草森先生と対話しているよう」「幕末・明治の本をこれだけまとめて見れるのは今後の役に立ちます」などと言われるとホッとした。
 その日の作業が終わると三々五々歩いて、夕陽を見ながら橋を渡り、時によっては駅前の居酒屋でみなでビールを飲む。草森紳一をめぐるさまざまな話が飛び出して、大笑いしたり、しみじみしたり。
 帰りの電車でEさんが「今まで知らなかったもの同士が、先生の蔵書整理で初めて出会って言葉を交わしながらお手伝いをする。ロマンですね」と言った。魔女サマンサのように私の鼻がぴくぴくと動いた。7月末を直前にしたこの頃、蔵書をお引き受けしてもよいという返事が草森さんの故郷・帯広から届いたところだった。どうぞうまく行きますように!

その先は永代橋 白玉楼中の人