昔、戦時下の日本映画の傑作、『人情紙風船』(1937年、DVD入手可能)の上映会に誘ってくれた先輩がいた。それが山中貞雄監督の最期の作品との出会いだった。
草森紳一、氏の御蔵書、『鞍馬天狗のおじさんは―聞書アラカン一代』(竹中労著、徳間文庫、1985年、原著、白川書院、1976年、現在ちくま文庫にて新刊入手可能)。稀代のチャンバラ・スター、嵐寛寿郎氏への、まさに模範的とも言うべき丁寧な聞き書きを縦軸に、膨大な資料渉猟、収集を踏まえた日本映画産業の「構造と力」への怜悧な分析を横軸に描き出される、日本映画の「生きている映画史の追体験」を成し遂げた本書。竹中労氏、文字通りの「労作」である。
マキノ省三門下の若き大スターにして、後には嵐寛寿郎プロの経営者、となるアラカン氏。前述、山中貞雄監督、天才脚本家山上伊太郎氏など錚々たる面子とともに、娯楽の王道、チャンバラ映画の黄金期を築いた。『鞍馬天狗』、『むっつり右門』などなど、長く続く戦争の下、娯楽に飢えた人々の願いに応えつづけた、チャンバラ映画たち。しかし、映画製作会社の統合、国家統制強化の中で、そのチャンバラ映画も徐々に活力を失っていった。やがて戦争は多くのカツドウヤたち、をも連れ去っていく。山中貞雄監督、1938年9月、30歳の若さで、中国、河南省で戦病死。山上伊太郎氏、1945年6月、フィリピン、ルソン島で戦死、行年41歳。アラカン氏は語る。
<山中(貞雄監督)泣きよりました、階段から転げ落ちるほど酔うて、「オレ戦争に行ってどないするんや、要領悪いさかいすぐ死ぬわ」とゆうて泣きよった。>(本書、徳間文庫版、p.160)
女たちを愛し、カツドウヤたちを愛し、そしてもちろん、映画たちを愛し続けたアラカン氏。
以下。そんなアラカン氏からの、本書著者、竹中労氏への最後の「注文」である。
<ええ本がでけますやろ、一つだけ注文つけてよろしいか。値段を安くしてほしい、映画の料金より高くならんように。>(本書、徳間文庫版、p.325)