崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

蔵書をいったいどうするか(13)北への帰還。そして、新たなる出発へ!

 とうとう本たちは行ってしまった。
 草森さんも一緒だろうか。十勝の自然をとても愛していたから。

 草森蔵書3万冊余りを受け入れてくださる大学があったこと。その場所が草森さんの故郷で、受け入れてくださる方々との信頼関係もきっちりできたこと。
 ちょっと言葉では表せないほどありがたく、安堵したのは間違いないのだけれど、うれしいのか、寂しいのか、よくわからないような日々を過ごしている。気が抜けて、“な〜〜んにもしたくない病”にかかったような……
 そんなわけで、この連載上でのご報告やお礼が遅くなってしまった。申し訳ありません。

 私自身について言うなら、単に本たちを売ったり捨てたりできなかっただけ。遺族や親しい友人なら、誰しもが同じように感じると思う。しかし捨てざるを得ないのだ、ほとんどの場合。幸運にも草森さんの本たちは、多くの方々の協力で捨てられないですんだ。

 蔵書整理を始めたのが去年の6月。第2部と言って目録作りを始めたのが去年の10月。この頃、ある企業から草森紳一文庫を建てましょうというご提案をいただいていた。夢が大きくふくらんでいたのに、「諸般の事情により」見送られてしまう。
 それからのみんなの踏ん張り。ブログのスタートにHPの開設、目録入力の進行を思い出すと、文庫見送りは神さまのお考えだったのではと思えるほどだ。
 しかし入力は着々と進むものの、蔵書を一括で寄贈できる所はなかなか見つからなかった。

 入力終了を間近かに控えた4月頃、帰りの電車の中での会話。

「10月から初めてもう7ヵ月ですね。〆切りを作って、受け入れ先がなければないで処分を考えないと…先生のように次号完結、次号完結って延ばしていられませんよね。倉庫代もかかるし、みな生活に戻っていかなければなりません」
 グサッと胸にこたえた。蔵書の内容を熟知し、目録の校正も分類も、まだまだやることがある、やりたいという気持ちを抱えたうえでの言葉なのだ。
 とくに倉庫代の負担は大きかった。私たちはみんなお金持ちではないし、プロジェクトのバックにスポンサーが控えているわけでもない。早く頭を切り替えて生活の建て直しを考えなければならない……だけど、北海道から届いた一通の返信が私を踏みとどまらせていた。
 それは帯広市図書館の吉田館長からのご返事で、「3万冊の個人名を冠した文庫スペースを確保するのは公共図書館では難しいけれど、個人的には草森紳一氏の蔵書は十勝にあって欲しい。差し支えなければ他に打診をしてもよいでしょうか」という内容だった。
 このお手紙に賭けてみよう、そう思ったのだった。

 それからのことは今までの回でも触れたように、幸運が続いた。(実を言うと一筋縄では行かなかったけれど、結果を見れば、やはり草森マジックと今さらに思う)
 4月末、もっと宣伝しましょうとチラシを作ってくれる人が現れ、5月、6月、雑誌や新聞の取材がタイミングよくそれに続いた。そして、いろいろいろいろあって、私たちが目標にしていた故郷の帯広大谷短期大学浄土真宗系)への一括寄贈が実現したのだ。
 道筋を作り、ご尽力いただいた吉田館長と周辺の方々、音更町長と町民のみなさん、そして帯広柏葉高校時代の草森さんの同級生や友人たちの陰ながらの応援など、たくさんの方々の情熱が一つになった結果だと思う。

 大英断を下してくださった中川学長はじめ教授会の方々、ボランティアの仲間やブログを読んでくださった方々、すべてのみなさまに遺族より心からお礼を申し上げます。

 本たちが音更町の廃校に到着したその日、田中教授から届いた第一報。
「想像よりも遥かに凄まじい段ボールのたたずまいに、しばし呆然。〜〜いやはや驚きを通り越して笑う?だけでした。(中略) 我々の知的冒険の出発点に立ち、今日はびびるのみです。お許しのほどを。明日からは建設的に、且つ、積極的に頑張っていきたいと考えています」。

 さあ、草森紳一の本たちは音更のみなさんにバトンタッチされた。スケールアップして、「蔵書整理プロジェクト第3部」が始まる。
 作業に携わってくださるみなさんには、円満字さんの言葉「微速前進でまいりましょう」をぜひプレゼントしたい。折にふれ私たちを勇気づけてくれた言葉だから。

 東京で一緒にやってきた仲間はみなワクワクしている。
 関係者の皆様方、くれぐれもよろしくお願い申し上げます!

その先は永代橋 白玉楼中の人