本はなんのために存在しているのか?
それはもちろん、読まれるためでしょう。どんなにいい素材を使って、美しく仕上げられた本でも、読まれなければ意味がない。別に隅々まで熟読して欲しいというわけではありません。だれかが開いてみて、なにかを感じ取ってくれれば、それでいいのです。
本はいつだって、手にとってくれる人がやって来るのを待っている。——そういう意味では、博物館でガラスのケースに入れられて大切に保管されている本は、ちょっとかわいそうな存在なのかもしれない。そう思うこともあります。
例のおでん屋さんで、草森先生ととりとめもないお話をしていたときに、図書館の話題になったことがありました。若き日、慶応大学の斯道文庫にお勤めされていたころ、書庫の中を歩いていると、先生の耳には「本たちのうめき声」が聞こえたそうです。
「こんなおもしろいことが書いてあるんだ……読んでくれ……」
十勝平原の広がりの果て、日高山脈の雄々しい山並みの向こうへ、冬の太陽がゆっくりと隠れていく。やがて大空は落ち着いたグラデーションをたどりながら暗転して、星々が静かなまたたきを始める。……そんな時間に、短大の駐車場は、熱心な地元の方々のお車で一杯になりました。定員20名のところ、40名を超える方々が、講座に駆けつけてくださったのです。
草森先生の同級生やファン。そして、先生のことは知らなくても本や文化的なものに強い興味をお持ちのオープンカレッジの常連さんたち。図書館関係者や地元メディアの方々。みなさんを前に、草森先生のエピソード、蔵書整理の日々などを語りながら、ぼくはつくづく、「蔵書をこの地が引き受けてくださってよかった」と感じていました。
それは、大谷短大のある音更町が先生のご出身地だから、というだけではありません。ここには、こうやって「草森蔵書」に興味を持って、わざわざ話を聞きにきてくださる大勢の方々がいる。草森先生が生涯をかけて集めた本たちは、ここで段ボールから解放され、だれかの手に取られ、新しい物語をつむぎ始めることでしょう。
それが本たちにとって一番の幸せであることは、疑いようがないじゃありませんか!