崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

十勝平原再訪記(前編)



 そこでは、時間そのものが凍りついているかのようでした。
 子どもたちの笑い声が毎日響いていたのは、もう20年ほども前のことになってしまったそうです。しかし、長い歳月に浸食されたような乱れは微塵も感じられず、かといって、在りし日の姿が昨日のことのように浮かんでくるわけでもない。あらゆる感傷を拒否するかのように、無色透明に冷たく凝固した時の流れだけが、てこでも動かせないような存在感を持って居座っている。——そんな場所でした。
 去る2月17日の水曜日、帯広大谷短期大学のお招きにより、蔵書が収められている廃校を見せていただきに、北海道は音更町まで行ってまいりました。去年の11月9日に見送ってから、数えてみるとちょうど100日目の再会となります。
 十勝は、北海道の中では雪の少ないお土地柄だそうですが、それでも廃校の周りは一面の銀世界。傾きかけた午後の太陽が、ウスバカゲロウの羽の色を思わせるような、はかなくも透き通った光を投げかけ、それが雪面に反射して、なんとも幻想的な雰囲気を感じさせます。そんな中、廃校の教室2つに分かれて、彼らはキチンといずまいを正して、収まっていました。
 ご案内くださった田中先生のお話では、運び込むときは膨大な量に圧倒されて、たいへんなご苦労をなさったとのこと。東京の倉庫を出たときは順不同の無秩序状態になっていた段ボール箱を、だいたい番号順に整理して収めてくださったご努力には、ほんとうに頭が下がりました。
 おなじみの段ボール箱の1つを開いて、1冊を手に取ってみる。そのとたん、ひやりとした冷気が、手のひらから心臓へと向かって流れ込んできます。ちょうど1年前、必死になってリストを入力していたあの冬も、彼らはやはり冷え切っていたなあ……。
 本というものは、時間を凝固させる冷凍庫のようなものかもしれない。
 ふと、そんなことを考えました。書き手の思い、編集者の思い、そして、手に取ってくれた読者のさまざまな思いを載せながら、本たちは、時の流れの中を旅していく。1冊1冊には、いろいろな人のいろいろな思いが凍結され封じ込められていて、だれかが本を開いたとき、その思いはゆっくりと溶け出していく。
 広大な十勝の平原にも、もうすぐ春がやってきます。そのとき、蔵書たちの新たな物語も、芽吹き始めることでしょう。

その先は永代橋 白玉楼中の人