崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

NO MORE BOOKS ! 11 十七歳の筆跡 (その一)

 父の蔵書には、線がいっぱい引っぱってある本が多い。だから「どちらにしろ古本屋では売れないわね」と母が残念そうに言った。でもこの線の引かれた跡をみていく事が、私としてはかなり楽しい。そこに生きている父が甦って来る気がするから。目録の入力が終盤にさしかかった頃、こんな私でも(コラムのタイトルを見て下さい)本との別れが名残惜しくなって、手の速度を緩めてはその都度手にする本をパラパラとめくっていた。さてそこで出会ったのは、たっぷり茶色く焼けた河出文庫の『明治の文學』(塩田良平著/昭和30年初版)。古本ではない。父が十七歳当時に読んだ本だ。
 ページを開いた瞬間、ただの線引き以上に言葉の書き込みが多くてびっくりした。几帳面で若々しい趣の文字たち。一瞬、父ではない別の誰かが書き込んだ古本なのかと思ったが、背表紙からめくると最後のページ右角に「草 森 紳 一」と青紫色の判子がリリしい佇まいで押してあった。
 受験勉強の副読教本だったのか、ところどころ二重線や波線、丸四角、赤色鉛筆と黒ボールペンなどが使い分けられている。隅に読み終った日付が一々書かれていて、紙の余白にちょっと難しめの漢字が何度も練習してあったり、作家名や用語が、力強いきれいな筆致で覚書されている。この本の余白に踊る文字達は、父の学びの意欲の源泉に触れるような感動を私に呼び起こした。

 どこから紹介しよう。「第一部 概論篇」の「第一章 明治文學概論」はP8からこう始まる。
 「文學は日本においては元来たはむれの道であった。つまり狂言綺語であつた。だから中世の傅説ではあるが、紫式部源氏物語を書いたために、地獄に落ちて苦しんだといふ説話が殘ってゐる程である。徳川時代の戯作はこの狂言綺語の傅統をひいたものである。まづ讀者の心を樂しますべきものでなくてはならない。あはれが多く、筋に變化があつて讀んで面白いことが第一の條件であつた。ただそれだけでは社會的意義を失ふためにそれにいはゆる勸善懲惡の思想を加味したものが戯作精神であつた。」

 さて紳一少年は「狂言綺語」に赤色鉛筆で『 』、「紫式部が〜苦しんだ」に波線、「勸善懲惡」に( )、「戯作精神」に赤色鉛筆で『 』。写真の通り、書き込みも。

 左ページ6〜7行目には、
 「然らば明治初期における人間主義の特徴は何であつたかといふと、福澤諭吉の思想をもつて代表することができる。そして彼の思想の最も端的に現はれてゐるものは「學問のすすめ」である。」

 赤色鉛筆で「福澤諭吉の思想」に傍線、「學問のすすめ」に『 』。これは、父が初めて「学問のすすめ」を意識した瞬間だったりして・・・とやや感動するも(わざわざ改めて書き込んでるし)、父に直接聞けたなら、どうせ「小学校のときには読んでたよ」と返されそうだ。

(続く) 

その先は永代橋 白玉楼中の人