崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

声。

 とある午後、ちょっとした悪さでもしでかしたのだろう。小学生、低学年だろうか、子どもを叱る声と泣いて謝る声が、窓の隙間から暫く流れ込んでいた。久々に聞く、子どもの泣きじゃくる声。聞くとはなしに聞いていたが、無事、お許しを得たらしく、ひっくひっくやりながら、その声は歩み去っていった。今時、珍しい経験をした。
 ほんの少し以前の公園や街路には良く泣いたり、泣かせたり、あげく釣られ泣きしたり。そんな子どもたちの声が溢れていたような気がする。俗耳に親しい教育論議や世評とは異なり、いまにいたる子どもたちは、実は感情を細やかに統御する術を、どんどん発達させてきているのではないだろうか。甘える、媚びる、そういう目的意識がある、とまでは言わない。ただ、そんな「感受性」が、恐ろしく発達した子どもたち。かつて、戸川純さんが、指からレーザー光線を発しながら、「夜のヒットスタジオ」から『レーダーマン!』と叫び、歌いかけた。その当の子どもたちが。もう親たちになって久しい。
 とはいえ、いったん泣き出したら、当人も必死である。「ワンワン」、「シクシク」、「エンエン」。どんなオノマトペ、擬音語、擬態語でも足りはしない。その泣き声は、なまじっかな言葉よりも、意味をたっぷり含んでいる。

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 草森紳一、氏の御蔵書の中の本書、水木しげる先生の傑作短編集『コケカキイキイ』(講談社、1986年)。
 コケカキイキイ。この音は一体何を意味するのだろうか。この表題作の「主人公」の「前身」である、四つの不幸な、命の、最期の泣き声、だろうか。そんなことを思いながら、読み始めた。違う。彼らからは泣き声を満足にあげる力さえも奪われている。その何もかも、奪われた四つの命の思いが、凝り固まり。コケカキイキイ、とだけ鳴く、異形として立ち現れたのだ。そして。その文字通り声にさえ、ならない「コケカキイキイ」は、大きく、世の中を騒がせることとなる。本作品、及び、水木しげる先生の前史ともいうべき、昭和の紙芝居の「声」をじっくり聞きたい方には、『紙芝居と<不気味なもの>たちの近代』(姜竣、青弓社、2007年、書名をクリックいただければ。BK1書評ポータルに拙文掲載中)をお手にとっていただけたら。
「今夜、戸川純が、夜のヒットスタジオに出る…」
 瀕死の、美しき最強妖怪、樹のそんな呟きが。本来、妖怪と戦うべき、『幽遊白書』の主人公幽助の大先輩にして、最強の魔界探偵だった、仙水の心を解き。文字通り冥府魔道に誘ってゆく。御蔵書中にも確認されている、富樫義博先生の傑作、『幽遊白書』(90年代中盤、週刊少年ジャンプ集英社)連載)の後半部、屈指の一コマからの、これもまた「肉声」である。

その先は永代橋 白玉楼中の人