崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

砂場。

 小さな頃、よく砂場で遊んでいた。今となっては、何が面白かったのか、皆目分からないのだが、とにかく、穴を掘る、捏ねる、また埋める、そんなことを飽きもせず、暗くなるまで繰り返していたはずだ。
 とはいえ、古代遺跡の発掘作業には、興味が持てない。古代ローマポンペイ遺跡のような、どでかい、分かりやすい、「すごい」ものは別だが、「柱穴」、「土器」、「石器」となるともういけない。なんか、現場では、三分も集中力が持たないで、「はい、ここ終わりっす」と叫んでしまいそうな気がする。要は文字にしか、惹かれない性分なのかもしれない。ところが、これが、「木簡」となると、ちょっとそそられる。

 草森紳一、氏の御蔵書中の本書、『長屋王』(寺崎保広著、吉川弘文館、平成十一年(1999年))。1986年、奈良は二条大路。都市開発計画に伴う、発掘作業中、平城京時代、無辜の罪に問われて非業の死を遂げた、所謂、悲劇の天武系皇族、長屋王王宮遺跡、そして、三万五千点にも及ぶ膨大な木簡が、著者を含む研究グループによって、発見された。その大量の「文字」資料に基づき、著者が、長屋王の身分的、経済・社会的立場、日常生活、そして「長屋王の変」(天平元年(729年))の実態の分析を試みた労作である。
 とはいえ、やはり、当方などより、相応しい読み手が、他に居るのであろう。そもそも中心人物である「長屋王」と文字面を見たとたん、「横丁の若様」(70年代後半、NHK『お好み演芸会』での若き日の春風亭小朝師の肩書きである)が思い浮かんで、頭から離れず、その彼が、大きな役割を果たした、本格日本漢詩集『懐風藻』、という題名を目にしても、なんかこりゃ、昔の山本山の焼海苔の詰め合わせセット名みたいだなあ、という感想しか、振っても振っても当方からは出てこないのである。
 そんな当方が、本書からなんとか、得た「教訓」と言えば。さしずめ家庭用裁断機の導入の必要性であろうか。はたまた、コピーに裏紙を使いすぎるのも考えもの、というところだろう。
 資源ゴミ、別名、歴史「資料」は、そこいら中のオフィスで、ご家庭で、夜も昼も今も、作られているのだから。

その先は永代橋 白玉楼中の人