小さな頃、よく砂場で遊んでいた。今となっては、何が面白かったのか、皆目分からないのだが、とにかく、穴を掘る、捏ねる、また埋める、そんなことを飽きもせず、暗くなるまで繰り返していたはずだ。
とはいえ、古代遺跡の発掘作業には、興味が持てない。古代ローマ、ポンペイ遺跡のような、どでかい、分かりやすい、「すごい」ものは別だが、「柱穴」、「土器」、「石器」となるともういけない。なんか、現場では、三分も集中力が持たないで、「はい、ここ終わりっす」と叫んでしまいそうな気がする。要は文字にしか、惹かれない性分なのかもしれない。ところが、これが、「木簡」となると、ちょっとそそられる。
とはいえ、やはり、当方などより、相応しい読み手が、他に居るのであろう。そもそも中心人物である「長屋王」と文字面を見たとたん、「横丁の若様」(70年代後半、NHK『お好み演芸会』での若き日の春風亭小朝師の肩書きである)が思い浮かんで、頭から離れず、その彼が、大きな役割を果たした、本格日本漢詩集『懐風藻』、という題名を目にしても、なんかこりゃ、昔の山本山の焼海苔の詰め合わせセット名みたいだなあ、という感想しか、振っても振っても当方からは出てこないのである。
そんな当方が、本書からなんとか、得た「教訓」と言えば。さしずめ家庭用裁断機の導入の必要性であろうか。はたまた、コピーに裏紙を使いすぎるのも考えもの、というところだろう。
資源ゴミ、別名、歴史「資料」は、そこいら中のオフィスで、ご家庭で、夜も昼も今も、作られているのだから。