一昨日、昨日と、東海さん、Living Yellow氏、そして円満字の3人で、思い立って草森先生のご実家の書庫を拝見に出かけてまいりました。
日食が見えるか見えないかを気にしつつ、羽田空港を飛び立ったのは午前11時過ぎ。太陽を背に一路北上して、とかち帯広空港へ。気温は18℃。天気は雨上がり。十勝平原は、麦が黄金色に色づき、馬鈴薯の花が咲き乱れる別天地でした。「馬鈴薯の薄紫の花に降る雨」をうたった石川啄木のことが、自然と思い出されます。
草森先生は、晩年はほとんど帰省はされなかったとのことですが、お会いしたときのお話や、お書きになったものの中には、よく北海道のことが出てきました。「故郷」というものはだれにとっても、複雑な思いを抱かせるものですが、先生にとってもそれは同じだったのでしょう。あらゆる意味で「ユニーク」な草森紳一という人間を育んだのは、この土地だったのかと考えると、感慨がひとしおです。
中にはいると、四面すべて書棚に囲まれて、「なにものか」の体内に入ったような感覚を覚えます。1977年に完成してしばらくは、ここでご執筆をなさることも多かったとのこと。時間が凝固してしまったような、不思議な空間でした。
ざっと見渡してみて目立ったのは、ナチス関連の蔵書がまとまっていたこと。東京の倉庫に収まっている蔵書の中にはそれほど多くはなかったので、78年から79年にかけて『絶対の宣伝』全4巻を完成された後、こちらへ移されたのでしょう。
目分量で推測してみる限り、ここに収められた蔵書の数は、2万5000前後といったところでしょうか。東京のぶんを合わせると、5万から6万くらいとなります。改めて、先生の「本」への執念を感じます。
今回の旅では、弟さんや、高校の同級生、また地元で草森先生を愛読していらっしゃる方など、たくさんの方々にお世話になりました。ほんとうにありがとうございました。
まだまだ深みを見せてやまない草森ワールド。多くの方々のお力によって、その全貌が少しずつでも明らかになっていくことを、強く願った次第でした。