崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

北の大地へ……

 1956(昭和31)年、大学受験のために上京した、一人の青年。それから半世紀以上が過ぎて、彼がその半生をかけて集めた3万冊にも及ぶ蔵書は、故郷に帰ることになりました。
 長らく、みなさまにご心配いただいておりました草森紳一先生の蔵書ですが、このたび、ご出身地の北海道音更町にあります帯広大谷短期大学に寄贈させていただくことになりました。学長の中川皓三郎先生、中心になって検討してくださった田中厚一教授、事務局長の永井秀樹さまを初め、受け入れにあたってご尽力いただいたすべての方々に、篤く御礼を申し上げます。
 思えば、この「蔵書整理プロジェクト」が始まってから1年半。あっという間に過ぎたようではありますが、いろいろな紆余曲折もありました。うだるような暑さの中での仕分け作業や、凍てつくような寒さの中での入力作業。新聞や雑誌の取材もあれば、チラシを作ったこともありました。花火も見れば、桜も見ました……。
 すべてを乗り越えて、落ち着き先が決まったことにほっとしていますし、それが先生の生まれ育った町であることに、この上ない喜びを感じています。
 帯広大谷短期大学では、この膨大な蔵書のすべてを受け入れてくださいます。早くも11月上旬には、本たちは、東京のとある場所にある倉庫から、持ち主を育んだ北の大地へ向けて、旅に出ます。うまくいけば、来春の三回忌までには、大学内に「草森紳一記念室」がオープンして、生原稿などの資料とともに、順次、蔵書も公開されていく予定です。
 このブログでは、引き続き、音更町からの情報も含めて、その模様を発信し続けてまいります。これまで、ご声援をいただいた方々に心より感謝を申し上げるとともに、今後のよりいっそうのご支援を、よろしくお願い申し上げます。

その先は永代橋 白玉楼中の人