崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

窓。

 草森紳一、氏の御蔵書は、とある現在使われていない学校の、教室に置かれることになっている。もちろん、公開される予定の記念室にも膨大な数の御蔵書が、並べられる。いわば、一般の図書館の閉架書庫の役割をこの教室が果たすことになる。
 この教室の写真をお送りいただいて、まず、写真の中の窓を、眺めていた。教室の内側から窓の外を眺めたのは、正直久しぶりだった。
 かつての黒柳徹子氏の大ベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』、ではないけれども、当方も、教室では、黒板よりも窓の外を眺めてばかり、だったように思う。
 おそらく、公的な学校建築にはきちんと規制があるのだろう。窓がない教室、というのは、実は日本に、あまり存在しないのかもしれない。
 もちろん、草森氏が黒板を見ない子どもだった、などというつもりはない。
 しかし、当たり前だが、まったく教室の窓を見ない、子どもというのは、想像しがたい。窓の外に広がる、空はおそろしく広く、小一時間ごと、教室の小さな机に、座っていなければならない、子どもたちを誘惑してやまない。そして、運動場から歓声がする。笛がなる。場合によっては、怒声が飛ぶ。遠くから菓子パンの移動販売車のテーマが流れる。
 教室の中の子どもは、窓を見る。教室の外に広がる、広い世界を見る。
 やがて、歳をとった、子どもの視界に、自動車の車窓越し、ほんの通りがかりに、学校の、教室の窓が入ってくる。しげしげと眺めることもないだろう。ただ、硝子の反射光に目を細めるのが、関の山かもしれない。
 そして、ある時からは、物言わぬ本の山が、その窓の中から、彼に視線を返す。
 彼は気がついてくれるだろうか。
 あるいは、その時、本は本で、彼などお構いなく、ずっと遠く、春の空を見ているのかもしれない。

その先は永代橋 白玉楼中の人