崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

その朝は、雪。

 11月9日、月曜日。晩秋の太陽が傾き、明るい中にもどこかけだるさを感じさせる光に包まれた、午後3時ごろ。
 もう1年半近くも、東京都内のとある倉庫に閉じこめられていた蔵書たちは、格安の見積もりをしてくださったとある引っ越し屋さんの4tトラックに積み込まれて、旅立って行きました。
 目指すは、新潟港。そこからフェリーにえんえんと18時間ばかり乗って、苫小牧港に着き、さらには北海道の南部を龍の背骨のように南北に走る日高山脈を越えて、音更町へ。2泊3日、まさに「旅」と形容するにふさわしい行程です。
 ただし、4tトラックに無事に収まったのは、全体の85%ほど。さすがに草森蔵書、経験豊かな引っ越し屋さんの予想をも上回ってしまったその量ゆえ、100箱ばかりは積み残しという事態に。急遽、手配された第2便の2tトラックによって、こちらは少し遅れて午後4時半ごろに倉庫を出発、JR線で北へ向かいました。



 火曜日の夜から、十勝地方は雪。第1便が音更町のとある廃校に到着したのは、その翌朝。帯広大谷短期大学のみなさんがお迎えくださる中、早速、積み荷を降ろす作業が始まりました。9時ごろから始めて、完了したときには、すっかりお昼を回っていたとのこと。いやはや、おつかれさまです。
 さて、その名も高き青函トンネルをくぐり抜けた第2便が到着したのは、本日、11月13日の金曜日の午後のこと。午後3時40分、田中厚一教授から、無事にすべての受け入れが完了したとのご連絡をいただきました。
 仮に1箱4kgと見積もって、約730箱で2920kg=2.92t。それだけの重量のモノが、無事に旅を終えたということ自体、なんだか奇跡のような気がいたします。蔵書の旅にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。
 さて、これからこの膨大な蔵書たちは、どのような物語をつむぎだすのでしょうか……

その先は永代橋 白玉楼中の人