お酒を飲むなら、できるだけ少人数がいい。――ぼくはこの点で、かなりかたくなである。いわゆる「飲み会」に誘われたら、なんだかんだと理由をつけてできるだけ避けようとするし、やむをえず出席するときも、5〜6人以上の「大人数」だと、スキを見つけては途中で退席してしまう。我ながら、困ったものだ。
人数が多いと、1人ひとりのことばにきちんと耳を傾ける余裕がなくなるから、というのが、建て前としての理由である。それでは、2人っきりで飲んだときは、相手の話をよく覚えているかというと、実はそうでもない。帰りの電車の中で、「あれっ、今日は何を話したんだっけな?」と首をひねることも、少なくないのだ。
とはいえ、2人で差し向かいで話した記憶は、しばらく経って、数日後、ときには数年後に、ふとしたきっかけで、脳みそのどこかから転がり出てくることがある。蔵書の中から、『有吉佐和子の中国レポート』(新潮社、1979年)が出てきたときも、そうだった。
いつも連れていっていただいた、永代橋のたもと近くの京風おでん屋さん。そのカウンターの片隅で、草森先生は、こうおっしゃったものだ。
「文革のころ、中国に行った知識人は、みんなだまされて帰ってきた。向こうが見せたいと思うものだけを見て、それが「真実」だと思い込んだんだよ。……でも、有吉佐和子だけは、違ったね。」
蔵書の中の本書には、おびただしい数のふせんが挟まれ、あちこちに傍線が引かれ、ところどころに書き込みがある。写真は114〜115ページの見開き。115ページの上段中程、「新中国には恋愛の歌がない。しかし、この歌詞もメロディも、まるで悲愴な恋歌のようだ。」の「この歌詞も」以下に傍線が引かれ、その上の余白に「60年安保に似ているか。」と書き込みがある。
これだけ「汚された」本は、ふつうの古書店に持っていけば、クズ同然に扱われることだろう。しかし、ぼくにとっては先生のことばを思い出すかけがえのないきっかけとなったし、将来の草森研究者にとっては、一級の資料となることだろう。
先日、深夜のテレビで、書籍のデジタル化がいよいよ本格化しそうだというニュースが流れていた。デジタル端末の中に収まった後も、本は、「想い出のよすが」や「個人研究の資料」としての役割を果たすことがあるのだろうか……