崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

蔵書をいったいどうするか(11) 草森マジック、またしても起こる!



 早いもので草森さんが亡くなって1年半。
 本人がいなくて文字校正の時間が大幅に省かれるせいか、次々に本が出版されている。近刊では、5月に『中国文化大革命の大宣伝』(芸術新聞社)、7月『フランク・ロイド・ライトの呪術空間』(フィルムアート社)、8月『本の読み方』(河出書房新社)——。
 没後の出版点数は、計7冊にもなった。(草森紳一HPで、書名、目次もぜひご覧下さい!)
 その新刊書などを集めた〈草森紳一ミニフェア〉が、ジュンク堂22店舗で展開中です。

 さて、草森マジックのお話。
 ミニフェアはジュンク堂新宿店では7月末までの展示だった。一緒に行く約束をしていた友人が当日になって無理になり、猛暑の中、一人で出かけるのはおっくうだなあとグズグズ。
 ライトの本に悲しみあふれる跋文を書いてくださった大親友の大倉舜二さんはどうしていらっしゃるだろう、最近はお電話が来なくなったし……と娘と話しているうちに気分が変わり、エイヤッと出かける。
 だだっ広い店内を散策し、レジで本を三冊購入し、さて帰ろうかと思ったその時、「草森の本は…」の声が耳に飛び込んできた。思わず声の方を向くと、レジの端に大倉さんの姿が!
 お会いするのは半年ぶりのこと。「3日前に帯広に行ってきたんです。ご報告のお電話かお手紙をと思っていたところ。なんて偶然!」と言うと、「あなたに声をかけられるなんて。あいつはときどき魔術を使うからな」。
 で、二人でお茶をして、抱腹絶倒の草森話をたくさん聞いたのでした。

 そして、5日後の金曜日の夕方。19箱もの草森さんのアルバムを移動する必要に迫られ、赤帽を頼んで自宅に運んだ。車の助手席に乗り込むとき携帯がなったが、まもなく切れる。マンションの部屋にようやく段ボール箱を積み上げてから、手伝ってくれた坂口さんに、身回品を入れてある北の部屋を見せた。
 「ワア! 片付けにまた人海戦術が必要ですね」「洋服は弟のコウシロウさんにお送りするって約束したのに、まだ時間がとれない」と私。一息ついてから、さっきの電話に折り返した。
 「はい」と聞き覚えのない年配の男性の声がして、不審気に「どなたですか?」。
 うっかり名乗るわけには行かない。「先ほどお電話いただいたようなのですが、どちらさまでしょうか?」と尋ねる。
 「ク・サ・モ・リですが…」
 ホッと安心。「東海です!さっきお電話いただいたようですから」。
 「東海さん?!ぼく、かけてないですよ。東海さんの電話番号も知らないし」。
 「エッ、草森の、どなた?」「ぼく、ジュンゾウです」。
 草森さんには弟さんが3人。帯広の次男さんとはよくお電話でお話するし、四男さんとは散骨式でお会いしたものの、一人暮らしの三男のジュンゾウさんにはお電話をしたことも、いただいたこともない。
 「でも、さっき、このお電話が。私、折り返しただけですから」
 「いやあ、びっくりしたなあ。ぼく、携帯のことはあまり分からんが、兄貴が心配して電話をよこしたようだ」
 そこで今夜、思い立ってアルバムを運搬したことや、衣類も早くコウシロウさんにお送りせねばと思ったことなどお話すると、「ぼくも欲しいな。兄貴の服は派手すぎて合わんかもしれんけどね」。

 私のそばにいて一部始終を聞いていた坂口さんは、「草森さん、完璧な指示を出していますね。原稿を書かないから、お閑なんでしょうか」
 「あちらでは阿佐田哲也さんや、いまは筑紫(哲也)さんも一緒だからね。麻雀やって、けっこう楽しく忙しくやってると思うんだけれど」。

 さて、3万冊の蔵書について草森さんの最終指示はいったい?!

その先は永代橋 白玉楼中の人