崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

島々を訪ね歩く

草森紳一という人は、おそらく「愛書家」ではないだろう。 愛書家とは、本をモノとして愛する人たちだ。だから、買った本は(読まなくても!)きれいにとっておこうとするものだし、立派な書棚にきれいに並べて悦に入ったりするものだ。 草森先生にも、かつ…

朝。

故いかりや長介さんを除いて、「〜チョーさん」と呼ばれることを、必要以上、無理矢理にでも追い求めた人間は、決まって、ギャグセンスがないくせに、過剰なまでに、受け、を狙う傾向があったのではないか。かつて、この国の少なからぬカイシャやガッコウで…

京風おでんをいただきながら

お酒を飲むなら、できるだけ少人数がいい。――ぼくはこの点で、かなりかたくなである。いわゆる「飲み会」に誘われたら、なんだかんだと理由をつけてできるだけ避けようとするし、やむをえず出席するときも、5〜6人以上の「大人数」だと、スキを見つけては…

曠野。

入試が終わって、通っていた、小さな進学塾の塾長さんが、みんなに、結構な額の図書券を「お祝い」として、配ってくれた。喜んでうっかり親の前で開けたが運の尽き。ご自分でそれぞれ内容解説を書いてくださった、英・数・国・社・理の、これから、買うべき…

開かれなかったページ

ある人が、ある本を手に取るには、いろいろな理由があるだろう。著者のファンだったり、内容に興味があったり、装丁が気に入ったり。そんなハッキリした理由はなくても、ふとした縁で、本との出会いは訪れるものだ。 佐藤春夫の『熊野路』は、1936(昭和11)…

蔵書をいったいどうするか(12)「船長、陸地が見えます!」

そろそろ、大船に乗った気になっても良いような雰囲気である。 まだまだ、という声も聞こえるけれど、小さな船で荒海に漕ぎ出したときの 心細さを思い出せば、荒れ模様もそろそろ終盤ではないかと思いたくなるほどの 今は凪。遥か彼方に陸地が見え隠れし、望…

砂場。

小さな頃、よく砂場で遊んでいた。今となっては、何が面白かったのか、皆目分からないのだが、とにかく、穴を掘る、捏ねる、また埋める、そんなことを飽きもせず、暗くなるまで繰り返していたはずだ。 とはいえ、古代遺跡の発掘作業には、興味が持てない。古…

ケチョンケチョンに言われても!

売れるべくして売れる本も、もちろんある。しかし、売れるはずなのに売れない本もあれば、売れそうにもないのに売れる本も、たくさんある。まったく、出版は、水ものだ。 『中央公論』1936(昭和11)年7月号の別冊付録、ルネ・ジューグレ『日出づる国』(小…

青年。

昔も今も。親の目を憚る、ごみ、というものはある。とっぷりと日も暮れた、塾帰りのガキどもは、そんな古雑誌を求めて、裏山や公園の茂みに連れ立って、「探検」に出かけたものだ。必ず、いろいろな「収穫」があった。多くはきっちりと、束ねられた、それら…

蔵書をいったいどうするか(11) 草森マジック、またしても起こる!

早いもので草森さんが亡くなって1年半。 本人がいなくて文字校正の時間が大幅に省かれるせいか、次々に本が出版されている。近刊では、5月に『中国文化大革命の大宣伝』(芸術新聞社)、7月『フランク・ロイド・ライトの呪術空間』(フィルムアート社)、…

産業。

花火大会に向う人々で混雑し始めた、電車の中で、「こち亀、予約した?」などと子どもたちが話していた。ストーリーともギャグともつかぬ、独特の世界を、「週刊少年ジャンプ」誌上に構築しつづけて、はや三十数年。秋本治先生の代表作『こちら葛飾区亀有公…

いちいちツッコミを入れないで!

「スター・トレック」といえば、アメリカの人気SFシリーズだ。宇宙船エンタープライズ号が遭遇する、数々の「驚異に満ちた物語」を描いたその最初のテレビシリーズ(1966〜69)は、今では伝説的な作品となっている。ぼくの中高生のころには、日本語吹き替…

単行本。

私事だが、当方には。単行本はおろか、雑誌もなかなか捨てられないという悪癖がある。しっかり再生してもらった方が世のためになる、と分かっていても名残惜しいのだ。 草森紳一、氏の御蔵書、全てを精査したわけではなく、以下は雑駁な印象に過ぎない。ただ…

淡い緑の中に

一昨日、昨日と、東海さん、Living Yellow氏、そして円満字の3人で、思い立って草森先生のご実家の書庫を拝見に出かけてまいりました。 日食が見えるか見えないかを気にしつつ、羽田空港を飛び立ったのは午前11時過ぎ。太陽を背に一路北上して、とかち帯広…

31回目の重版

自宅で仕事をするようになって以来、電気代を少しでも節約したいので、仕事中はできる限り、エアコンのスイッチを入れないようにしている。暑い盛りでも、エアコンの使用は昼下がりの数時間にして、あとは窓を開けて、風を通してなんとかしのぐ。 もちろん、…

蔵書をいったいどうするか(10) まったくもって奇跡の日々

目録作りが終わってから2ヵ月余が過ぎた。 この連載のタイトルは『蔵書をいったいどうするか』だけれど、で、結局、「蔵書はいったいどうなるの?」と心配してくださっている方が多いと思う。 すみません! まだご報告できる段階ではありません! 手をこま…

芸者。

芸一筋といえば、江戸落語の世界では、深川の辰巳芸者、柳橋、芳町、新橋の名前が良く挙がる。本音と建前が不分明な世界ではあるが、所謂、花魁、太夫の方々の活躍する廓と、これらの芸者さんたちの世界、一応は分けて考えておいたほうが、落語を聞くにも都…

クラッシックとの相性

去年の6月末、東京の九段会館で「草森紳一をしのぶ会」が催された。その席上、先生と親しかった方々のスピーチももちろん印象に残ったのだが、ぼくの記憶に最も鮮やかな影を留めたのは、飾られた遺品の1つ、ぼろぼろになるまで使い込まれた漢和辞典だった…

学問。

文化人類学。この言葉が、80年代に、一部で持っていた「呪力」というものを、どう説明したらよいものか。相原コージ先生の出世作『文化人類ぎゃぐ』の位置どりなど、そのころに生まれた、若い人にとっては『コージ苑』以上に意味不明な世界だろう。 宮台真司…

歴史はこびりつく

『山椒魚』や『黒い雨』で知られる小説家の井伏鱒二は、若いころ、出版社に勤めていたが、奥付のない本を作ってしまった責任を取って、辞めた。――ほんとうかどうか知らないが、そんなエピソードを、読んだことがある。 いかいも井伏らしい話だなあ、とも思う…

第二十六話。

稲森いずみさまと藤原紀香さまに、阿部寛氏が入り乱れる、フジテレビ、TVドラマ版『ハッピーマニア』については断片的にしか思い出せない。連載完結の数年前、20世紀末のドラマなので、原作と大枠で矛盾しない、オリジナルの「結末」が設定されている。ち…

諸葛孔明の大予言!?

1999年の7月といえば、「ノストラダムスの大予言」である。ぼくが子どもだったころ、この月に空から恐怖の魔王が降りてくるであろう云々というその予言のことを知らない少年は、皆無だったのではないだろうか。しかし、その年、7月はおろか12月が終わって…

不犯。

いま、このタイトル、を変換しようとして果たせなかった。ふぼん、と読む。宮本武蔵氏は生涯不犯、であったと伝えられている。つまり、早い話が、一生、女を抱かなかった、ということである。草森紳一氏の御蔵書にも残されていた、井上雅彦先生の渾身の作品…

女の子が笑って、照明が消える

大学1年生の4月のこと。知り合いになったばかりの同級生たちと一緒に、渋谷から地下鉄に乗ったことがあった。そのころのぼくには、「銀座線」という名前だけでも、「東京に来たんだなあ」という感慨をもよおさせるには、十分だったものだ。 電車は動き出す…

NO MORE BOOKS ! 13 陶淵明 番外編  −漫画『桃源記』

以前に3回連続で、『170 CHINESE POEMS』という洋書の中からT'AO CH'IEN 作「SUBSTANCE, SHADOW, AND SPIRIT」という詩をご紹介した。英訳で初めてこの詩と出会ったのでオリジナルの漢詩について何の知識もなかったけれど、陶淵明の「形影神」だと教わり原…

煙草。

お金が通用しない、使えない時、何が通貨代わりになるか。一昔前までは、特に戦争映画・マンガの世界では、大抵「煙草」だった。ニヒルな副主人公あたりが不慮の死を遂げる時、主人公にせがむのは。決まって「最後の一服」だった。 かつては、米軍兵士の支給…

iMacの魅力、紙の本の醍醐味

もう10年くらい前、ある出版社で漢和辞典の仕事をしていたころ、いつかプラスチックのケースに入った漢和辞典を作ってみたい、と考えたことがある。 透明なプラスチック・ケースの中に納める本体の表紙クロスは、たとえば、赤、青、緑の3色を用意する。本文…

NO MORE BOOKS! 12 十七歳の筆跡(その二)

明治文学、講義。この前の続きから本を開きます。 ちょっと飛んでp15。 ≪元来中國文學の飜譯はすでに奈良朝から起つているが、歐洲文學は近世初頭であり、アラビアンナイトの斷片やイソップは徳川時代の説話や假名草子に現はれてをり、明治以降になると、…

新聞。

遠い、昔。朝の表参道で待ち合わせした女性の、サザビーのリュックからはその日の朝刊が覗いていた。喫茶店に入って、二人して、珈琲を飲みながら、煙草を吸い、新聞を読んた。どこかの原発で小さな事故があった日だと思う。それから、今はもうない同潤会ア…

楽器のせいにしたくなる

学生時代、ぼくは大学のオーケストラで、ヴィオラという楽器を弾いていた。ヴァイオリンより少し大きく、チェロよりはだいぶ小さい、目立たない、地味な楽器である。 といっても、ぼくは生来の不器用だし、ひとに何かを教わるということが嫌いだし、根気よく…

その先は永代橋 白玉楼中の人