1999年の7月といえば、「ノストラダムスの大予言」である。ぼくが子どもだったころ、この月に空から恐怖の魔王が降りてくるであろう云々というその予言のことを知らない少年は、皆無だったのではないだろうか。しかし、その年、7月はおろか12月が終わっても、この世の終末はやってこなかったのだ。あれからもう、10年が経つ――。
いったい、人はなにゆえに、そんなにも未来を予言したがるのだろうか?
「課」には「占い」という意味もある。「馬前課」とは、孔明が戦いの最中、軍馬の前で占った結果を記したものだとでもいうのだろう。全体で14の「課」から成っていて、その第1課は、次のようなものだ。
天を回(めぐ)らすに力無く
鞠躬(きくきゅう)として尽瘁(じんすい)す
陰に居(お)り陽に払う
八千の女鬼
前半では、漢王朝復興の願いはかなわず、やがて力尽きてしまうだろうと言っている。孔明の予言は、己の死から始まるのだ。後半はどうやら、魏(ぎ)王朝が漢を滅ぼすことを予言しているらしい。見よ、「八千の女鬼」の4つの漢字を組み合わせると「魏」となるではないか!
第2課では魏王朝も晋(しん)王朝に滅ぼされることを言い、第3課ではその晋も滅びて中国が大分裂時代に入ることを言う。こんなふうに、たわいもなく王朝交替ばかりの「予言」が続くのだが、となると気になるのは、いったい、いつの時代まで予言されているのか、ということだ。
急いでページをめくってみると、第11課では、列強によって中国が食い荒らされ、滅亡の危機に瀕するという。19世紀のことだろう。続く第12課では「聖人」が現れて明るい日差しが射し込む。そして第13課では、天下は一家となり、光輝く中国が歌い上げられる。最後の第14課は、こんな占いとなりましたという「あとがき」のようなものである。
では、いまだ「聖人」が現れぬ現在は、第11課と第12課の間の時代なのだろうか。
もちろん、この予言は諸葛孔明のものではなかろう。中国が困難な道を歩まざるを得なかった時代に、だれかが「聖人」の出現を待望して作ったものにちがいない。
人はなにも、未来を予言したいのではない。あまりにも苦しい時代には、現在は「予言された未来」であり逃れられないものなのだ、とでも考えないと、やっていけないのだ。
その「現在」の果てに恐怖を置いたのがノストラダムスだったとすれば、近代中国に生きただれかは、「現在」の先に輝かしい未来を置いたのである。