崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

ダンス、ダンス。

 

 ヤード・セールという言葉を本書『ぼくが電話をかけている場所』(レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳、中公文庫・品切中:表題作や、『大聖堂』など、もっとも重要な彼の短編作品は同じく村上春樹訳の中公文庫『Carver's Dozen レイモンド・カーヴァー傑作選』で手軽に読める。)収録の短編『ダンスしないか?』(原題Why Don't You Dance?)ではじめて知ったのはいつ頃だったろう。
 本作中、広い庭にベッドから古びたレコードプレーヤーまで並べて、売り払おうとする一人の中年男。近年のサブプライムローン世界金融危機の中、このヤード・セールでの売り値相場も下落の一途、山下達郎氏の長寿FMラジオ番組、『サンデー・ソング・ブック』によると、レアな中古レコードまで値下がりを起こしているらしい。
 そんな「ヤードセール」に現れた、ある若い女性。「買い物」以外に彼女が「入手」してしまったものとは。
 もし、作家、村上春樹氏があのカート・ヴォネガット氏の分身、キルゴア・トラウト氏のごとく、あるいはデレク・ハートフィールド氏のごとく、不遇な運命をたどっていたとしても、おそらく、レイモンド・カーヴァー氏の日本における理解者、紹介者、そして翻訳者としての氏の地位は揺るがなかっただろう。両氏の文体は、日本語においては、渾然一体となっていて、もはや判別さえつかない。
 御蔵書の中にあった、文庫版の本書は奥付を見ると、初版1986年1月、1989年9月第13刷の記載がある。『ノルウェイの森』が1987年、あの赤と緑の単行本版で発行され、そこら中にあふれた、あの頃、を間に挟んで、本書は版を重ねていったのだ。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の印象が強かった、当方は「別に薬局の養子でもいいのになあ」くらいの感想しか持てなかった。が。数年をおいて、新幹線の中で読み終えた、『ねじまき鳥クロニクル』に改めて叩きのめされることになる。
 数年前、とある文芸誌で。ある老文芸評論家が「この人(村上氏)はもう60近いんだろう?いつまで、思春期の少年や、二十代の青年の話ばかり書いているんだい?」という意味のコメントを発した、との記述に接し、それももっともだな、としばらく思っていた。
 が、最近、別の老文芸評論家が発した、ある言葉に触れて、考えを改めた。
 「詩、あるいは文学でしか表現できないなにか、がほとばしるのは十代をおいて、他にない」という意味の言葉だった。
 『月刊宝島』のごとく、読者とともに年輪を重ねる物語:作家もある。しかし、「十代」を抱え続けてしまっているからこそ、書けてしまう、読むに耐えうる物語というのもあるのだろう。
 思い切って、洗いざらい庭に拡げてみるという手もあるが。そんなにも、広く、深い庭は誰の家にもない。

その先は永代橋 白玉楼中の人