議論じみたことをするときは、ギャラリーがいた方が燃える。良い面を挙げれば、二人きりではふくらまない論点に、その場の雰囲気、「受け」によって気づかされ、論を発展させることが、できる。悪い面。人前での勝ち負けにこだわりすぎて、さまざまな自己矛盾も辞さなくなり、脱線を重ね、話が長くなり、声を荒げ、場合によっては手も出る肉弾戦に突入していく。この場合のギャラリー、あるいはレフェリー、仲裁者役というのがくせ者である。ある段階から彼らは「議論」を「バトル」、として楽しみはじめ、レフェリーも仲裁と言うよりは、「試合」を盛り上げるほうに気を割く。「ポップとは何かについて論じてて。最後はサンボ・キック炸裂だったよ」これでは議論ではなくて、素人プロレスである。いや総合格闘技か。
そしてまた、史上最強の哲学者にして、文字通り。必殺アイアンクロー、「炉辺談話」の最中の、火かき棒による凶器攻撃で名をはせてしまった方がいる。
事実上の主役でありヒール、赤コーナー、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン選手。ウィーン出身、大富豪の息子にして、放浪のカリスマ哲学者、所属、英国はケンブリッジ大学。リングはケンブリッジ大学キングズ・カレッジ、2階H3号室での学内定例討論会、モラル・サイエンス・クラブ。青コーナー。その夜、招かれたのはカール・ポパー選手、同じくウィーン出身、中流の上、孤独を愛する科学哲学者、所属、麻生太郎首相とミック・ジャガー氏の母校、ロンドン・スクール・オヴ・エコノミクス(LSE)。試合開始、1946年10月26日、金曜日、午後8時半。レフェリーを務めるのは、史上最強の何でも屋貴族、バートランド・ラッセル伯爵。観客動員数約30人。立ち見も出た模様。
ゴング直後。ポパー選手は謎(puzzle)という語で挑発。当時(後期)ウィトゲンシュタイン選手は、言語と言語に対応する思考と世界が差し出してくる、問題(problem)、ではなく、それ自身のみで完結した言語の内部の、謎、しか存在しないと断言していた。が、その断言、自体が哲学的な申し立て、問題の存在の証拠、ではないか、とポパー選手は批判の構え。ここケンブリッジはウィトゲンシュタイン選手、ラッセル伯爵のホーム、ポパー選手にとってはアウェイ。しかしこのリングの裏で、レフェリーのラッセル伯爵とポパー選手との間に、実は。受け身にはなれていない、ウィトゲンシュタイン選手。ひるまず、猛反撃。リングサイドの観客は思う。いつもより楽しそうだと。しかし、まさにその時、ウィトゲンシュタイン選手の手が、暖炉の方に伸びた。レフェリーのラッセル伯爵、すかさず注意。だがその手は固く火かき棒を握りしめたままだ。
「ポパー、君はまちがっている。まち・がって・いる!」
三人の時代背景、思想、力関係の周到な分析、そして関係者へのていねいな聞き取りに基づく本書。読後。やはり、天才たちは違う、とも凡人と同じ、とも言える。謎、それとも。
<6・5 答えが言い表しえないならば、問いを言い表すこともできない。
謎は存在しない。
問いが立てられうるのであれば、答えもまた与えられうる。>
(『論理哲学論考』、(前期)ウィトゲンシュタイン、野矢茂樹訳、岩波文庫、2003年(原著1918年)、p.147より)