崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

蔵書をいったいどうするか(6)落胆から起き上がり、再び。

 時は止まってくれない。川の風景も、季節とともに移り変わっていった。
 11月に入ってからの見送りのご返事は、予想しなかったわけではないものの本当にショックだった。もともと7月末を締め切りに始めた蔵書整理だ。寄贈先との仲介をしてくださる人の希望で8月末まで延ばすのも思案だった。9月には私が北海道に出向いて、お待ちすることになった。今はもう11月。年末が目の前だ。来年の2月頃までは何も動かないだろう。年度末も越えることになるだろう。困った……

 結果が出た直後のある会で、ある出版社の社長から、「だから最初に売ってしまいなさいと僕が言ったでしょ」ときつく言われ、思わず私は「大きなお世話です!」と応えていた。遺族の総意で始め、誰にも迷惑をかけてはいない。しかし、今まで共に蔵書整理をやってきた人たちに対してはどうか。北海道での整理を見据えて、第二部の目録作りをスタートさせた人たちに対しての責任はどうするのか。入力は11月末には1万冊に届くだろう。
 どうするんだ?!

 重い気持ちでPCに向かい、目録作りの中心になっている二人組に草森文庫創設が見送りになってしまった報告のメールを、ためらいながら送信した。
 20分後に届いた返信メールのタイトル。
「へこたれるものか!」「転じて福となす」。
 まいった。まいった。ほんとうにまいった。恐れ入りました。

 翌日の金曜日は作業の日だった。二人組の一人、円満字さんが言った。
「今朝ひらめいたんですけど先生のブログとHPを作るのはどうでしょうかね。ネットはお金がかからないし。一周忌に展覧会が開催される予定だからそれを一つの目標にして、展覧会の宣伝もしつつ蔵書整理も打てる手を打っていく。倉庫代は発掘原稿で限定本を作るか、受入先のなさそうな本を思い切って売るか――」
「君、朝からそんなことを考えていたの? ぼくは冷蔵庫に一個だけ残っていた卵を見ながら、目玉焼きにしようかな、それともゆで卵にしようかなって悩んでたんだ。そんな時に君は……君は本当に頭がいいねえ」ともう一人のLiving Yellowさん。

 ブログと草森紳一のHPは、門前仲町の引越しを始める前からず〜〜っと考え続けていたことだった。だけど取り掛かる人もなく、余裕もなかった。
 バンザイ! この二人なら、できる。

その先は永代橋 白玉楼中の人