本がなくても生きていけます、草森紳一の娘は。
私はたくさんの本に囲まれて育った。
幼い私に与えられる最優先の栄養は、本と映画や舞台などの芸術鑑賞だった。
けれど大人になった私は「本」の世界にどこかパタッと回路を閉ざしている。
友達の中でも本好きな人とはあまり上手く打ち解けられない。
彼らが「本」について語り始め、その瞳が輝き出すとき、
私の表情は少しずつ死んでいく。逃げ出そう。
そして失礼ながら心だけが、幽体離脱してる。
だからって他人の価値観まで否定したらいけない。
彼らと距離を置き、心の底で「ケッ」と呟く自分は少しグレている。
世の中、時代は変れど本好きは永遠不滅、読まない人は全然読まない。
本との付き合い方はいろいろ、それは当たり前。
だけどもし、草森紳一の本とのつき合い方を、お手本に育ったなら。
本は絶対だ。生と死と、本。それくらい不可欠なこと。
この世で人間として十全に生きようと思ったら、本を読まない人は問題外。
そして読まなければならない本は、山ほどある。早く読まないと、間に合わない。
それでも一生かけても、何千万分の一も、読み終わらない。 ハハハ!
父は楽しそうに嬉しそうに笑う、困ったネと。小さな私は黙りこくった。
はてしないレールが行く手に広がっている気がした。
私の心の成長過程を振り返ると、父と本との関係は切り離せない。
「本ってなに?」という問いと「生きることってなに?」という問いは
いつもループしながら私を葛藤させた、結構シリアスで語り尽せないドラマだ。
駆け抜けるように過ごした2008年夏の、蔵書整理の日々。
体育館のようにのびのびと広い倉庫を、本を運びつつ動き回るのは、案外気持ちがよかった。
それから冬を迎え年を越して、昨年末から同じ倉庫の2階へと、まだ通い続ける人達がいる。
そこではまさか不可能と思われていた目録が、淡々と、そしてワクワクと作られている。
本と父の遺したものを大切に思って下さる方々の手によって。
昨年末にできた約一万一千冊分の目録リストを、エクセルファイルで見させて頂いたら、
何故だか知らない、血が騒いだ。
ああ、これがあってくれたら、あの大量の本達が姿を消してしまっても、
私ははてしなく父親を感じることができる。そう思った。