崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

NO MORE BOOKS! 1 目録に感動

本がなくても生きていけます、草森紳一の娘は。

私はたくさんの本に囲まれて育った。
幼い私に与えられる最優先の栄養は、本と映画や舞台などの芸術鑑賞だった。

けれど大人になった私は「本」の世界にどこかパタッと回路を閉ざしている。
友達の中でも本好きな人とはあまり上手く打ち解けられない。
彼らが「本」について語り始め、その瞳が輝き出すとき、
私の表情は少しずつ死んでいく。逃げ出そう。
そして失礼ながら心だけが、幽体離脱してる。 

だからって他人の価値観まで否定したらいけない。
彼らと距離を置き、心の底で「ケッ」と呟く自分は少しグレている。
世の中、時代は変れど本好きは永遠不滅、読まない人は全然読まない。
本との付き合い方はいろいろ、それは当たり前。



だけどもし、草森紳一の本とのつき合い方を、お手本に育ったなら。
本は絶対だ。生と死と、本。それくらい不可欠なこと。
この世で人間として十全に生きようと思ったら、本を読まない人は問題外。
そして読まなければならない本は、山ほどある。早く読まないと、間に合わない。
それでも一生かけても、何千万分の一も、読み終わらない。 ハハハ! 
父は楽しそうに嬉しそうに笑う、困ったネと。小さな私は黙りこくった。
はてしないレールが行く手に広がっている気がした。

私の心の成長過程を振り返ると、父と本との関係は切り離せない。
「本ってなに?」という問いと「生きることってなに?」という問いは
いつもループしながら私を葛藤させた、結構シリアスで語り尽せないドラマだ。

駆け抜けるように過ごした2008年夏の、蔵書整理の日々。
体育館のようにのびのびと広い倉庫を、本を運びつつ動き回るのは、案外気持ちがよかった。
それから冬を迎え年を越して、昨年末から同じ倉庫の2階へと、まだ通い続ける人達がいる。
そこではまさか不可能と思われていた目録が、淡々と、そしてワクワクと作られている。
本と父の遺したものを大切に思って下さる方々の手によって。

昨年末にできた約一万一千冊分の目録リストを、エクセルファイルで見させて頂いたら、
何故だか知らない、血が騒いだ。 

ああ、これがあってくれたら、あの大量の本達が姿を消してしまっても、
私ははてしなく父親を感じることができる。そう思った。

その先は永代橋 白玉楼中の人