昔、行き付けの書店はいつも混雑していた。夕方の、マンガ棚など、本当に押し合いへし合いという状態だった。そんな中で、朝日ソノラマ版の『光る風』(山上たつひこ)とか、講談社全集版の『ガラスの脳』(手塚治虫)、そして『コンプレックス・シティ』(諸星大二郎)などなどと、確かに出会ったはずである。そしてその書棚、手のとどかない高いところに、『必殺するめ固め』(つげ義春)の背文字が踊っていたのは、しっかり記憶している。
そののち、郊外の書店で季刊誌『コミックばく』(日本文芸社)を立ち読みするようになっても、なぜか、『ガロ』は手に取らなかったような、気がする。アナクロな、近すぎる過去、当時まだ、まばらに路上に残っていたヒゲ面のフォーク青年の匂いを感じたのかもしれない。結局、東京のジャズ喫茶で夜明かししたとき、はじめて座ってしっかりガロを読んだのだろうか。新本で『ガロ』の版元、かつての青林堂刊行の書籍を買ったのは、『パレポリ』(古屋兎丸)が最初で最後ではないか。
そんな、こんなで、御蔵書の中の本書『ガロを築いた人々―マンガ30年私史』(権藤晋、ほるぷ出版、1993年)を手に取って、懐かしい、とは言えなかった。ただ読まなきゃな、と思い、許諾をいただいてお借りした。
かすかに煙草の匂いがするはずの、本書によれば。著者、権藤晋氏が1964年9月創刊の『ガロ』編集部に在籍されたのは、1966年9月から4年と少しである。その間、『鬼太郎夜話』の水木しげる氏、『カムイ伝』の白土氏、そして、水木氏のアシスタントをつづけながら、『沼』などを執筆したつげ義春氏を担当。あの名作『ねじ式』の成立に立ち会う。同じく水木氏のアシスタントをつとめた若き日の池上遼一氏との椎名鱗三などについての果てる事なき、文学談義。そんな中、『地球儀』が生まれる。そして、劇画とつげ義春氏の影に悩みぬいていた、滝田ゆう氏『寺島町奇譚』(BK1書評ポータルに拙文掲載)、あの陰影の誕生に立ち会う。
並行して、マンガ批評同人誌『漫画主義』を石子順造氏、山根貞男氏、梶井純氏と創刊。青林堂退社後は、『夜行』(北冬書房)を自ら創刊、『名美』シリーズの石井隆氏、近年再評価の声が高い、夭折の天才、『魔都の群盲』湊谷夢吉氏の作品に関わった。その穏やかな声音で、錚々たるマンガ家たち、とその作品、周辺の人々を語る本書。図書館などで是非ご一読いただけたら。
そんな現場の空気から遠く離れた、駅前書店での立ち読みであれ。マンガの掲載誌を、その時読んでいたという、同時代感覚のようなものは、確かにある。
『AKIRA』(大友克洋)を『週刊ヤングマガジン』(講談社)誌上で読んでいた時を思い起こすと、雑誌ごと通読はしていなくても同時期連載の『P.S.元気です、俊平』(柴門ふみ)、『ハロー張りネズミ』(弘兼憲史)、あるいは『バタアシ金魚』(望月峯太郎)、『ゴーダくん』(業田良家)などの作品群もまた、全体として、切り離せない記憶となっている。好きなマンガの連載を追いかけているつもりが、他の作品とも、そして見上げていた、書店の棚全体と、読者はふれ合ってしまうものだ。
『ガロ』の気配に怯えつつ、『ヤングマガジン』の空気を胸いっぱいに吸い込んでいた、あのころ。立ち読みしているうちに、降り始めた雪が帰路に厚く降り積んでいた、夕べもあった。