なんでもごきげんにやれることって素晴らしい。
蔵書の入力も2万冊を突破したとか。
蔵書の片付けに参加して下さっている方々の、そこに見出す
たのしみの形はそれぞれ違っているのかもしれないが、わくわく
嬉々と何かに取り組んでいる人の姿は見ているだけで皆をルン!と
しあわせにしてしまう。目録作業を中心で推し進めて下さっている
円満字さんとLiving Yellow さんの存在もまさにそんな感じだ。
うず高く積まれた蔵書のダンボールの保管庫にて、中から宝物を
掘り当てる少年のようにきゃっきゃっと本と無邪気に戯れる様子に
しばしば女性群はみとれてしまっている。
もうすぐで父が亡くなってから一年になるが、あれからというもの
私達が辿ってきたこんな物事の展開を、ふしぎだなあ、おかしいなあ、
と常日頃思わずにはいられない。
その素敵な大人少年達の様子をちら見することもさることながら、
パソコンの入力を運動感覚で進めていくことだ。元々走るのが好きな私は、
ランニングのペースを少しずつ速めていくみたいに、キーボード打ちの
ペースを高め、そこにぐぐっと集中力が生じてくるのが爽やかで心地良い。
隣でポチポチと人差し指で地道に文字を打っている母に「いま何箱目?」
と尋ねたりしながら、何故か「私が誰より速く走ってやる」という内なる闘志を
勝手に燃やしている。とはいえ、速く多い冊数を入力するために、始めから
あまり作業が難航しそうな箱(中国文学や専門書の類)を選ばないので、
何も他の人と比較にはならないのですが。
興味を惹かれる本が現れて、手が止まってしまう事も度々ある。
これは何か臭うなと、目に見えない年季やオーラを感じさせる本は、表紙を
めくるとやはり父の蔵書印がどんと押してあったりする。「やっぱりね」なんて
呟きながら、その本をよく見直してみるのも面白い。私があんまり走りにばかり
夢中になり、風を切っていくような気分でキーボードを叩いていると、ふと、
父がその辺りであまり快くない顔で見ている気がする。
「その本を素通りするのか」「もうちょっとゆっくり見なさいよ」と少し窘めるように、
蔵書の山の中で、散歩を薦める声が聞こえる。