崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

とびっきりの贅沢

 本は紙でできている。当たり前のことだが、本に触れるということは、紙に触れるということだ。
 草森紳一先生の蔵書整理をやって、一番よかったと思うのは、何千冊にも及ぶ本を、実際に手にとることができた、ということだ。特に、リスト入力の作業では、奥付を見るために、必ずページを繰らなくてはならない。指先に、紙の感触を感じるのである。
 そうやって、指先に残る記憶をたどってみるとき、印象深いのは、戦後まもなくに出た本の感触だ。
 この時期の書籍用紙の多くは、現在、ぼくたちが日常的に接している書籍用紙とは、ぜんぜん違う。洋紙というよりは、和紙に近い。表面はザラザラだし、それほど薄いわけでもないのに、向こうが透けて見えそうな気がする。
 いかにも、物資が乏しかった時代らしい雰囲気だ。
 でも、耐久性という意味では、戦前の書籍用紙よりはすぐれているのではないだろうか。戦前の本の紙は、少なくとも、裏ページが透けて見えたりすることはない。しかし、酸化してしまって端からボロボロになっているのを、よく見かけた。



 それに対して、戦後まもなくの紙は、見かけははるかに頼りないけれど、ほとんど劣化しないようだ。おそらく製本されたときからこんな感じだったんだろうなあ、といった風情で、静かにたたずんでいたものだ。
 江馬務著『京阪神の年中行事』(宝書房、1948)も、そんな1冊だ。ただ、この本がちょっと特別なのは、巻頭に口絵が2枚、付いていることだ。表紙を開くと、まず、京都の祇園祭りの写真。それをめくると、大阪天満宮のお祭りの写真。
 本文用紙は、さっき言ったみたいに頼りないやつだから、とてもじゃないけど、写真なんて印刷できない。だから、この2枚の写真は、別の紙に印刷されている。業界用語で「別丁(べっちょう)口絵」というやつだ。
 ただ、「別丁」といっても、そんなにいい紙があるわけはないのだ。今だったら、書籍用紙としてはまず使ってもらえないような、けっしてキレイとは言えない紙。わざわざそれを使って、お祭りの写真を2枚、入れる。
 それが、とびっきりの贅沢だったんじゃないだろうか。
 これは幻想かもしれない。でも、この本の紙に触れるとき、ぼくの指先は、この本を作った人たちの思いにかすかに触れる。そんな気がする。

その先は永代橋 白玉楼中の人