崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

注文。

 昔々。一人、眠れぬ夜、四畳半住まいの学生、行き付けの飲み屋があるわけでもない。手早く自分で、ニンニクラーメンチャーシュー抜き、を作る腕前もなく。日付が変わる頃、レンタルビデオ屋に足を向け、よせばいいのに、『ギャング忠臣蔵』(東映、1963年、小沢茂弘監督、片岡千恵蔵高倉健、出演)などを抱えて、余計に殺伐とした気分の帰路、牛丼屋に立ち寄る、そんな日々。
 いつだろう。「つゆだく」という声をその店内で初めて聞いたのは。「つゆを多めに」ということであるというのは、即座に理解した。しかし、甘ったるいあのつゆをさらに増やしてもらう、気にはなれなかった。ある夜のこと、「つゆぬき」、と誰かが注文する声を聞いた。勇気を出して、「つゆぬき」と自分でも声に出してみた。供された「つゆぬき」牛丼は美味しかった。
 以来、牛丼は「つゆぬき」で頼んでいる。未だに当方が、カウンター越しに、料理人の方に「注文」をつけることは、他にはない。そのたび、なつかしさとともに、当時の夜のさびしさを思い出す。その日一日、発した、自分自身の言葉が「つゆぬき、で」だけだった日も確かにあった。

 本書『帝国ホテル百年の歩み』(株式会社帝国ホテル、平成二年(1990年)、非売品)。草森紳一、氏はおそらく、帝国ホテルの設計に携わった、建築家フランク・ロイド・ライト氏に関わる記述をお目当てに、本書を取り寄せたとおぼしい。しかし、当方は、ある一つの「注文」の記述をひたすら探して、本書の頁を繰った。あった。
 シャリアピンステーキ
 昭和十一年(1936年)、日本公演中のロシア出身の声楽家、フィヨドール・イワノビッチシャリアピン氏が帝国ホテルに滞在中、食堂「ニューグリル」での、カウンター越し、彼の「注文」から生まれた、帝国ホテル、筒井福夫シェフオリジナルの傑作料理である。歯を悪くしていたシャリアピン氏のオーダー、「何か軟らかな肉料理」!
 <薄く伸ばした牛肉をすりおろしたタマネギに漬け込み、塩とコショウで味を調えて焼き、その上にバターで炒めたタマネギを載せて供した。筒井のインスピレーションはすき焼がヒントになった。>(本書、p.235より)
 現在、帝国ホテル以外では、東京駅前の「レバンテ」で。その流れを汲む「シャリアピンステーキ」を供しているようだ。一度、食べたことがある。
 20世紀を代表する声楽家の一人、シャリアピン氏の異国の宿での孤独、をふと想像してしまう。職業柄、宴席など人前では、自らの体調不良、とくに口腔部の変調を不用意に口にできる立場ではなかっただろう。カウンター越しにシェフにその事情を理解してもらい、この傑作料理が生まれるまでには、二人の「仕事人」の間に。静かな時間が流れていたのではないだろうか。おそらくは、各々の日々の、華やかなる宴のあと、の。
 あの「シャリアピンステーキ」にも、初めての「つゆぬき」に。ほんの少しだけ似通った、さびしい、だが確かな温もりが忍び込んでいたような気がする。

その先は永代橋 白玉楼中の人