今日は父の誕生日です。
最後に話したのは、ちょうど一年前の二月二日の電話だった。
「お父さんもうすぐ70才だね」と私が言うと「70か!アハハ」と
その年齢に自分で呆れたように屈託なく笑っていた。
五十代で既に老いを感じ始めたという周りの編集者には、
「俺の神経は二十歳の頃から変わらない、鏡を見ない人間には年とったこともわからない」
と話しているらしい。ここ数年の父の体調はむしろ酷いものだった。
けれどそのぶれない神経は頑健で、この日も178分話した。
一昨年に私が自費でつくった小さな本の扉もこの写真で飾った。
なぜ白い布を被っているのか謎だが、何も見えないで前へ進もうとする子供(私)と、
そこにある父の影は、私自身の心象風景と符合する。
光の射す白い布に覆われてよくものの見えない子供は、歩むことも触れることも不器用で、
この世界を本当に感じ取ることができないと、手探りしながら彷徨っていた。
私の本は友人知人にしか渡さなかったが、
父にも送ってあった。でもその感想は聞いていなかった。
「批評はいらないと書いてあったから、何も言わんよ」と母に漏らしていたらしい。
確かに本の後書きに、私は批評というものに対する恨みごとを少し書いていた。
それでも久々に電話をかけると遠まわしに切り出してくれた。
「一度出しちゃったものは恐いんだ。もう直せないからね。そして作品の影響力っていう
のはね、7〜8年後に動き出すのよ」
「して、図書館の始まりというのはね、キリスト教図書館だったんだ。
一千億年後に誰かがその中にある本の一行をふとみて、何か大発明するかも知れない。
そういうことのために気長に保存するものだ」
書いたものを人目に曝す気合、それを悠久の価値で捉えていくことの大切さ。
一千億年後なんて大袈裟な言い回しに「その頃はもう人間はいないよ」と思って黙っていた。
父の話をメモした事などなかったのに、この日は急に紙を探して言葉を書き留めていた。
私は自分が歩める道を探しながら、父の影も避けるようにもがいていた。
だからこそ、全ての言葉の調子や論理が、無性に懐かしく大切に思われた。
いつもは電話をかけると次に会う予定を決めるのに、この日はお互い切り出せなかった。
あまり気軽には出かけられないほど体がしんどい事はわかっていたし、どこか躊躇した。
長々と話したのは父の方なのに「そろそろ、疲れてきちゃった」と言われ、
少し沈黙のあと「じゃあね」と交わしてカチャンと切った。
心に漂っていた生温い風は、普段と違う後味だった。