崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

バンド。

 小学校のころ、友人の「コピー」バンド(YMO、チープ・トリック)を手伝って以来、楽器は一切やらないくせに、大学卒業まで、バンド周辺にいた。古来、バンドは男の子のものであった。90年代に大きく変わった一時期はあったが。天才的な女性ベーシストか、女性ドラマーが、新たに出てこない限り、根本は変わらないような気がする。

 そんな、バンド周りの「プンプン」のような存在から見ると、バンド周辺にたむろしていた女の子たちは、大概、ピアノとかを、しっかり、下手をすると高校までやり込んでいて、音楽的にはどう見ても、彼女たちの絶賛する「バンド」の男の子たちより、素養も技術も上回っており。そして現実も、実は見えていたんじゃないか。と今さらながらに邪推してみる。「プンプン」みたいに実体なく、ドラムセットなどを運搬していた当方も、大学生になるころには、その程度には、耳、というか。
 小学校の時、感じた、「こいつら、最高だぜ」が、中学で裏切られ、中学の時、信じた、「先輩、絶対天下とれるっす」を、高校で忘れ去り、高校の時、口にした「デモテープ。送ろうよ」が空しくなっていき、大学のころには、半ば、「夢を信じること」は「夢を演じる」ことだと、自分に言い聞かせながら、スタジオの爆音の中に佇んでいたような気がする。
 過ぎ去った、ゼロ年代中期、一瞬の好景気を背景にした、大学卒業後も「バンドをやっている友だち」を生き生きと描いた本書『ソラニン』浅野いにお小学館、2005年)。草森紳一、氏の御蔵書中の本書、偶然かもしれないが耳が折られたページの一コマの、「ボーカルの種田の彼女」、芽衣子さんの語り、を引用させていただく。

 <心細くて 不安だったけれども なんだかわくわくもあって―
 ―とにかく あの頃の空は なんだかすっごく広かった。>

その先は永代橋 白玉楼中の人