「あなたは、自分が主人公じゃないと気が済まない人ですね。」
ある先輩からそう言われたのは、社会人になって間もないころのことだった。あのころのことを思い出すと、今でも、だれも知り合いのいないどこか異国の小さな町へ行って、人生をやり直したい気がすることがある。
念力でスプーンを曲げたり、お茶の間に置かれた数多くの「壊れた時計」を動かしたりして、ユリ・ゲラーが日本中を騒がせたのは、1974(昭和49)年のことだ。「スプーン曲げ」といえば、条件反射的にその名が思い浮かぶ。それくらい、強烈な存在感を持っていたことは、否めない。
本書は、そんな彼の自伝である。イスラエルのテルアビブに生まれ、幼いころに両親が離婚。再婚した母に従って、地中海のキプロス島に移り住む。風光明媚な島での明るい少年時代には、しかし、キプロス紛争の影がさす。やがて、義父の死をきっかけにイスラエルに戻り、軍隊に入隊。第三次中東戦争に従軍して負傷。除隊後、モデル活動を開始。やがて、ショーマンとして各地を渡り歩くようになる。
「超能力」の3文字を抜いてしまっても、ユリ・ゲラーの経歴は波瀾に富んでいて、興味深いものがある。しかし、読みながらぼくの頭から離れなかったのは、「超能力者」の彼が、何故に、300ページ以上にもなる「自伝」を書かねばならなかったのか、ということだった。
自身の顔をアップにしたこの表紙は、本人の希望か、出版社の意図か。巻頭にはモノクロながら口絵が10ページもあって、幼いころの写真から恋人の写真まで、ほとんど本人が写っている写真ばかり、30点余りが収められている。
「語るに足る自己」を信じられないと、「超能力者」にもなれない、ということか?
表紙の写真を見ていると、なるほど、いい男だ。アメリカのTVシリーズ『ナイトライダー』のマイケル・ナイト(デビッド・ハッセルホフ)を思い出す。
なんとはなしに、うちの人に尋ねてみた。
「なかなか男前だよね?」
「そうかなあ? あんまり魅力を感じないけど。」