崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

蔵書をいったいどうするか(8)浮かぶ倉庫・浮かぶ本たち

 その昔、渋谷の交差点を渡ったとき、センター街の奥のほうに草森紳一さんの姿を見かけた。まだお昼前の早い時間で、人通りもほとんどなかった。
 イエローのすこしくたびれたコーデュロイのジャケットに、だらんと伸ばした右手には小さな巾着のひもがひっかかっていた。
 「あ、草森さんだ!」と思ったけれど、まるでどこか異世界から降りてきたばかりといった風情に、声をかけることができなかった。
 「ここはどこ……どの時代かな……」、忘我の表情でアーケードを風のように通り抜けていった後姿を今も思い出すことができる。

 以来、私は草森さんを心の中で「地上3センチの人」と呼ぶようになった。のちになって、3センチどころか30センチと修正するのだけれど。
 彼が暮らした門前仲町のマンションも、すこし浮かんでいたかもしれない。
 入力作業をやっている、このがらんとした倉庫もやはり浮かんでいるのかも。草森紳一の本たちも、そしてここでPCに向かっている私たちも、実は……。

 蔵書整理プロジェクトのブログは、着実に更新されていた。草森紳一HPへのアクセス数も快調。目録入力数は、3月19日の一周忌頃には2万2000冊を突破、桜が満開の4月5日には2万5000冊に達していた。

 「なぜ、ここまでやるのか?」と、問う人もいた。
 それは、やっている一人一人に聞いてみないと分からない。私については、大きな喪失感を埋めるための代償行為ではないかと言う人までいた。単純に言うと、どんなことに対しても、やるだけのことはやっておこう、と考えるやっかいな性格なのだ。
 自分自身の企画で、苦労をしながら数年かけて完成させた本もいくつかある。ささやかな仕事だけれど、それはそれで人生の一部を捧げたわけである。草森紳一の蔵書は、はるかに大きな意義をもって生み出されたものが多く、著者や編集者や出版社の苦難と名誉に思いを馳せるとき(印刷所や紙、製本、装丁者も忘れるわけにはいかない)、そして一冊一冊が長い旅路の果てに草森紳一に出会ったことを考えるとき、それらを、ふさわしい住処にと思わざるを得なかった。
 作業を可能にしたボランテァと倉庫代の確保。これらについては、まるで草森さんがはるか彼方から采配したように思える。数々の小さな不思議の背後にもまた。

 もう5月。7ヵ月の本たちとの蜜月も終り、まもなく、着地しなければならない時がやってくる。

その先は永代橋 白玉楼中の人