中国文学の先生方は、中国旅行がお好きだ。春休みや夏休み、そしてゴールデン・ウィークまで、何人もの仲間やお弟子さんたちと連れだって、やれ江南だ、やれ四川だ、やれシルクロードだと、はるばると旅にお出かけになる。中国旅行歴数十回という先生も、けっして珍しくはない。
よく飽きないものだなあ。そんなに時間的・経済的余裕があるなら、たまにはヨーロッパとか南米にでもお出かけになればいいのに。
そう思うこともあるけれど、やはり、中国大陸というのは、われわれを旅に誘う魅力がある。それは、遣隋使・遣唐使の時代から、日本人のDNAに組み込まれているのかもしれない。
おもしろいのは、本書が大きく2部に分かれていることだ。メイン・テーマはもちろん、友梅の生涯を歴史上に追うことなのだが、それは前半、だいたい6割くらいのところで終わる。そして後半はというと、著者自身が雪村の足跡を現代中国にたどった、その記録になっている。つまり、この本は、全体の4割くらいが、著者自身の旅行記に割かれているのだ。
中国というものを興味の対象とすると、どうしても、旅に出かけねばならず、旅に出れば、その記録を残したくなる。そういうものらしい。
草森先生の蔵書の中にも、その種の記録はたくさんある。これまでにも紹介した、諸橋轍次『遊支雑筆』(目黒書店、1938)や、小谷部全一郎『成吉思汗ハ源義経也』(冨山房、1924)もそうだったが、名の知られた文筆家たちのものだけでも、徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社、1918)、木下杢太郎『支那南北記』(改造社、1926)、島木健作『満洲紀行』(創元社、1940)などなど。特に戦前の日本人の中国紀行は、先生にとって収集の対象だったようだ。
その草森紳一という人ご自身はというと、生涯、中国をその興味の対象とし、膨大な中国関連書籍を買い集め、読み込みながらも、実際に中国へと旅をすることはなかった。その事実を思い出すとき、この人のDNAはやはり常人とは違っていたのだと、改めて感じ入るのである。