こんなに爽やかな命日は想像していなかった。
お金では買えない快晴と、献花のために集められた青い勿忘草、
BGMはハービー・ハンコックの「処女航海」で、ビールはハイネケン。
故人の親しんだ川を眺めて、心地良く流れる時間をくつろいで下さった30名程の方々。
船着場のきたなく濁った深緑色の水すら、丁度よい具合に父の好きな緑色の濃さだなぁ、
わるくない。
一年が経っても、父の死の実感は湧かない。だからか、なにか手応えを求めて、
私は数日かけて父の骨をできるだけさらさらの砂になるまで一生懸命砕いて摺った。
すればするほど無心になって、手まめをつくった辺りで、少しなにかが腑に落ちた。
でもそれも既に持主のいない魂の抜け落ちた骨に過ぎないという感覚が大きかった。
手を合わせると父の言葉がきこえ、それを受け止めると心が落ち着く、そんなことを
よく繰り返す一年間だった。19日の散骨も、父との心のやりとりで、導かれるように迎えた。
終ってみて、船で飾った遺影を再び我が家の元の位置に戻して手を合わせた時、やっと
その意図が分かった気がした。この一周忌は、父が生前お世話になった方々をお招きして、
私にやってほしかったみたいだね。
「本当に孤独な人間はね、自分を孤独だとは言わないのよ。だけど父さんみたいなのはね、
(真の)孤独っていうのよ。」
こんな言葉を何回きいたことだろう。どれほど親しく付き合った間柄でも、木をみて森をみず、
または森をみて木をみずなのか。草森紳一という人は幾層にも複雑な顔のある深い森のようで、
その深緑に潜めた幾つもの秘密をおくびにも出さず、(特別不器用な手先とは裏腹に)器用に
不思議に生き抜いて、逝ってしまった。どうやら大多数の親しき人にとってその最大の秘密は、
子供がいたことだったようなのだが(なんだ私か?)、私が知っている父親も、それはクリスタルの
ような氷山の一角なのだ。
そんな薄情で傲慢で恨めしく思われても仕方がない凄みの生を全うした父は、何も言えない今、
私にテレパシーを送り、遺族の実務的な手を少し借りて、真心のお付き合いを交わした方々に
ささやかながらも心ばかりの御礼をしたかったのかもしれない。たっぷりと包むように優しい風や、
束の間目に飛び込んだ金色に光る菜の花などに形を変え、目に見えない工夫を凝らして。
甦ってきた。父の言葉を浴びて見守られていることは、何か私が特別な使命をもって生まれてきた
子供であるかのように、しばしば神聖な緊張感を感じさせられたものだ。
悟り尽した様に物を眺めていた父にも「死」は初体験で、海に溶けたなら軽やかに、飄々とした
冒険心を増幅させて新しい生に向かっていくんだろう、そんなイメージでタイトルのジャズ音楽を、
一周忌のBGMに選んだ。
左の写真は、父が見て撮った幼い私の後姿です。でも今は、父を海に放った私の心の姿に重なる。