殴られた後、血も出ていないのに、かすかに鉄の味を感じる。あの「味覚」は一体どこから来るのだろう。おかげさまで、義務教育を終えてから、久しく味わっていないあの味。今となってはどこか、懐しささえ覚える。
かつて、『宮本から君へ』(新井英樹先生、太田出版(新刊入手可能)、90年代初頭、週刊『モーニング』(講談社)連載)を評して、「プロレタリアマンガ」の誕生と呼んだ方がいた。
中小玩具メーカー、早く言えば、「ガチャガチャ」の中身を製作している会社の営業正社員。二十代。独身。気になる同僚の女性がいた。一緒に一晩を過ごした。ぐずぐずしているうちにその彼女を持ってかれた。そんでもって、おまけつきで、その彼女をポイ捨てされた。そんな彼に、若い頃のボクシングのせいか、酒びたりのせいか、いつもゆらゆらしている、さえない会社の先輩が。電車の中で、ささやいてくる。
「あの高校生に 注意 できます?」
先日、無事、完結巻が刊行された、本作品。田西氏を宮本氏直系の後輩と呼ぶこともできよう。二人とも中小メーカーの二十代営業マン。惚れた女を持っていかれた。ラグビー、あるいはボクシングで叩き起こされる。
しかし、本作品の田西氏と宮本氏は、暴力の魔を描いた『ザ・ワールド・イズ・マイン』(新井英樹先生、エンターブレイン(新刊入手可能)、90年代後期、週刊『ヤングサンデー』(小学館)連載)のモンちゃんを間に挟んで、完全に、似て非なるものとして、対峙しているようにも思える。二人きりの素手でも、人は死ぬときは死ぬ。ほんの指先一つで消える命がある。この十年の間に、命と暴力というテーマは、差し迫った、難儀なものになってきた。
本質的な違いを一つだけ。宮本氏の鍛えた拳は、男の戦いを実現する。
田西氏の場合、拳を鍛えるうちに。当初の「敵」を喪失する。
その地点から、その拳は。加速し、弾けて、疾走する。