崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

ステーションの日常

 小津安二郎の『早春』という映画を見たのは、いつのことだったろう。よくは覚えていないのだが、毎朝、同じ時刻の電車に乗って、東京の大手町あたりの職場へ通うサラリーマンたちの物語だった。ぼくにとっては、たいていは帰省の旅の出発点である東京駅が、日常生活の舞台として登場するのが、妙に新鮮だったような記憶がある。



 ふと、そんなことを思い出したのは、「東京駅文庫」というラベルが貼ってある本が出てきたからだ。
 問題の本は、西川満『西遊記 百花の巻』『西遊記 火雲の巻』(新小説文庫、1952)の2冊。背に「東京駅文庫」のラベルが貼ってあって整理番号が付いているほか、裏表紙には同じく「東京駅文庫」の青い印が押してあって、「S27.6.18」と日付が入っている。
 寄贈された本などが、貸し出し自由、ときにはお持ち帰り自由として駅の待合室などに並べてあるのは、さほど珍しいことではない。戦後間もなくの東京駅にもそんなものがあったのだろうくらいに思ったのだが、調べてみると、ちょっと違うらしい。
 「東京駅文庫」は、有斐閣白水社東京大学出版会などの専門書出版社が組織している「出版梓会」によって、1950(昭和25)年10月13日に開設された。『出版団体梓会二十五周年史』(1973)によれば、「文庫」とはいうものの、本の閲覧・貸し出しを目的とするものではなく、会員各社の新刊を展示して広告する「本の展示場」だったようだ。多い年には年間2000冊近くが陳列されたと、記録にある。
 だが、単なるショーウィンドウだったとすれば、ラベルを貼ったり整理番号を付けたりする必要はない。同書に収録された座談会には、展示された本のその後について、次のようにある。
 「陳列期間を終わると東京駅に全部寄贈したんです。それで加藤駅長さんは駅事務室の中にかなり大きな図書室をつくって、二人の図書係をつけて駅員に貸出しをしたんです。」
 2冊の『西遊記』に貼られたラベルは、おそらく、この「かなり大きな図書室」のためのものだろう。この座談会には、次のような発言も残されている。
 「春陽堂文庫なんか二カ月ぐらいでボロボロになるくらい読まれたんですよ。」
 時は1950年代。当時の国鉄の職員は、活字に飢えていたのだろう。いま、ぼくが目の前にしている本は、そんな彼らが争って読んだ本なのかもしれない。
 小津安二郎の『早春』は、1956(昭和31)年の作品。あの映画で描かれた東京駅にも、きっと、読書好きの駅員さんたちが働いていたにちがいない。

その先は永代橋 白玉楼中の人