崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

蔵書をいったいどうするか(9) 男と女ではなく、女と女でもなく、男と男が…

 やっぱり男と男ね、と思う。何がって、絆の強さがである。
 多分この6月末、草森紳一フランク・ロイド・ライトの本がようやく出版される。写真は大倉舜二氏。
 いまから35年も前の1974年夏、二人がアメリカでライトの建築を見て廻ったときの仕事をまとめたものだ。文章も写真も古さを感じさせないどころか、とても新しく、見事に調和していて二人の世界に誘い込まれる。
 「ライトの写真は撮ってる人がいっぱいいたからね。俺はイヤだって言ったんだ」
 と大倉さんは言われたが、結局草森に言い負かされ、二人にとって初めての海外旅行になった。以後、男同士の気ままな旅は何回も。
 門前仲町に引越しをしたとき、長い廊下に置く本棚を贈って組み立てたのは大倉さんだったし、草森さんが吐血したとき、その始末をして有無を言わさず入院させたのも大倉さんだった。やりたい放題の不良時代は二人だからこそ輝きは数倍。年をとってからは、痛めつけあうことが元気の、数々の仕事のエネルギー源だった。とてもとても女には入れっこない、魂の奥底でつながっていた50年の歳月。

 そんな大倉さんは草森さんが亡くなった直後、「草森の本なんか捨ててしまえ。俺が5トントラック呼んでやるよ」と言われた。草森紳一はもう、死んだのだから。

 だけど、跡を継ぐものは、いつかは出てくるものだ。
 3万冊を超える目録の入力をどうするかというとき、ダンボール箱の山を前に「やってやろうって思うんだ」という男がいて、「君がそう言うならぼくもやるよ」と応えた男がいた。
 それから雨の日も風の日も、震え上がったあのみぞれの日にも倉庫まで通う。一番乗りは円満字さん。しばらくすると、ゆったりと階段を上がってくる音がして、Living Yellow氏が姿を現わす。そして、手は休めず、果てしない二人のおしゃべりが始まる。
 「ここへ来ると落ち着くんだ。どうしてかなあ。本の匂いかなあ」。
 入力する本を手に、ドイルの心霊学の話から、漢籍に、初めてのSFに。『浮雲』の映画と小説の違いに。会社と『ゴルゴ31』について。深遠なる話とミーハーな話がかみ合いながら流れていく。と、急に「勧誘の弓道部の女子学生がすごく美しかったなあ…(溜息)」と学生時代にワープ。
 寄り道してとどまるところを知らない草森さんの原稿を読んでいるような……

 PCをたたいている他の男女にとって、二人のおしゃべりを聞くのは楽しみと同時に思いがけない学びにもなった。知識だけではない。「失われし書庫」には絶対にさせないぞという男と男の覚悟。男とは、少年の魂を持った男です。もちろん、ね。

その先は永代橋 白玉楼中の人