崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

蔵書をいったいどうするか(5)まだまだ流浪の日々が……

 本の行く先を探すことは、今どき至難だ。草森紳一の蔵書整理を始めた6月以来、さまざまな方にご意見を伺ったが、そもそも東京には、場所がない。文学館や図書館も飽和状態だ。たとえ受け入れが可能になっても、すでに同じ本が所蔵されていれば、その本は省かれる。つまり個人名を冠した文庫にはならない。ある大学の名誉教授が亡くなられたあと、その貴重な蔵書は長年奉職した大学には受け入れられず、アメリカの大学に行くことになったという。
 幸いに地方の大学や研究機関に受け入れられても、人手不足で目録作りはなかなか進まない。「大学や図書館の倉庫には、ダンボールに入れられたままの本が山積みですよ。そのうち少しづつ失くなっていくんです」とまで言う人がいた。
 そんな現実の前で、草森紳一文庫を建てましょう(しかも経費もち!)というお話は、信じられないほどラッキーなものだった。

 北海道での整理に先立ち、やるべきことは何か。誰もがわかっていて、なかなか言い出せないこと、やりだせないこと――もちろん、それは目録作りだった。
 はるかかなたに目的地が見え隠れするようになって、私たちはやっと目録作りに乗り出すことになったのだった。少しでも、受入先のお役に立てれば。

 9月末、帯広から「現在の進捗状況」というメール。基本設計(試案)を依頼しているのだが建築家が多忙につき2週間お待ちいただけないかというもの。もちろん、お待ちせねば。

 入力は着々。10月の第一週には約800冊となる。夏の整理と違って、ボランティアの集まりは今ひとつ。そこにバーコードリーダーが甲高い音とともに登場。草森さんの本にバーコードが付いているものは少ないのだが、それでもはるかに能率アップでうれしい。

 10月中旬過ぎ、帯広からメール。まだ設計プランがでず、その後は市との調整もあるため、申し訳ないがお時間をいただきたくと丁寧で誠実な文面。
 お待ちするしかないものの、倉庫の経費と考えたくもない結果が脳裏をよぎり、眠れない夜も……
 だが続けるしかない。10月末には4000冊(100箱強)に届きそう。11月末には胸を張って8000冊(200箱強)のリストをお渡しできるだろう。もし、ご返事が、年を越えたら……

 11月4日、帯広からメール。
 「〜〜草森文庫の創設に向けて検討してまいりましたが、諸般の事情により見送りとさせていただきたく〜〜何卒〜〜」。 
 とうとう来てしまった。最悪の事態が!

その先は永代橋 白玉楼中の人